霊言はお告げのことである。信者たちは教祖が発する霊言欲しさに集まる。それは人生相談から商談、縁談まで、神の言葉でアドバイスをもらいたいという欲望を一般人は持っている。だから霊言を多く言う教祖ほど信者を集められる。そして弟子や信者の中には霊能者がいて、ふとした瞬間に神らしき方が降りてきて霊言を告げる場合もあるだろう。もしもそういう場面にでくわせば、周囲に自慢したくなる。自分も教祖になれると思うものだ。
だが、深見東州先生は、霊言を発することは100%魔を呼ぶと述べ、警鐘を鳴らす。
もし、あなたが高級神だったとしよう。あなたの役目は自分の意志を民に伝えることだろうか? そうではあるまい。使命ある人を守護し、その人物の育成と導きだろう。そしてその人物の魅力で人が集い、人が救われ、世の中が改善されていくことを望むだろう。神自らがでしゃばってお告げで人を指導することはしないだろう。これが正神界にいる高級霊たちの一貫した約束事と彼は言う。
高級霊は教祖が「虎の威を借る狐」となって神の名の元に人々を支配することを嫌う。この神霊界の基本原則を知れば、聖人の霊言を語る霊はにせものであると彼は断言する。
口をついて出てくる霊言やそれらを本にしたもの、またどんどん出てくる自動書記は全てまやかしものである。
しばしば、お告げが悪用されるのは決まって跡継ぎ争いの時であると私は思う。「神が〇〇を跡継ぎにせよと告げた」と言って、教祖が跡継ぎに権力を与えようとする瞬間である。高級霊がそのようなお告げをするはずがない。ビジネスや支配につながるようなお告げは、教祖が「そのようなお告げを望んでいる」ところに魔が降りてきて教祖の希望通りの言葉を、魔が代弁しているにすぎないだろう。
つまり、跡継ぎ問題の時には、ほぼ必ず教祖に魔が降りると考えてよい。どんなに立派な教祖にも魔が降りるだろう。魔が降りるとその教団は人々救済という大義を忘れ、存続力を強めるために一時的に財と支配力を蓄えようという方へ向かう。それは人々救済の道から外れる。だから初代教祖は跡継ぎを考える時は、自分の考えを客観的に見つめ、外道を歩んでいないかを厳しく審査しておかなければならない。魔にとって、教団ほどおいしい餌はない。教団が存続をかけて利害を追求するようになることは魔にとって安住の地を得るに等しい。
そして最後に一言付け加える。魔は信者の支配を強め、信者らを操り人形にしようとするだろう。だが、その所業を龍神などの眷属の仕業に見せかけ、眷属に濡れ衣を着せる魔がいると思われる。まるで眷属が教団を支配しているかのように芝居する。そういう手の込んだ陰謀が普通にあるほど、神界は謀略だらけであることを意識しておくとよい。こうした冤罪が神界と人間の信頼関係を破壊していく。それが魔の思惑であろう。→次の本文を読む