一般人は霊能力とは関係なく、努力や修業、試験を経験して出世していき、地位と収入を上げていく。狡猾な者は他の者を支配する。つまり一般社会では霊能力を持たない者が霊能者を支配下に置く。年功序列社会や学歴社会がそれである。
ところが、霊能力の高い者は多次元宇宙的な知恵を持つため一般人がどれほど勉強しても追いつくことのできない高次元の知恵を持っている(未来予知、危険察知、テレパシー、心願成就の力など)。その圧倒的な智恵を持つ霊能者たちを、一般の学力の高い人間が必死になって抑えつけようとするのが人間社会のおもしろいところである。しかも、霊能者はしばしば精神病者扱いされ、社会的逸脱者とみなされる。
それは霊能者の立場から見れば、理不尽極まりない。能力が高く、その霊力でいろんな人の役に立てるというのに、左遷されるからだ。自分よりも霊力がない者が高い地位について威張っている姿に嫌悪を抱いても無理はない。
平安時代末期、チベット密教を志す者に霊能力の高いドルジェタクという者がいた。彼は仏典翻訳家であり、呪術を独自に身に着けた。そして自分に敵対する者を密教修法によってつぎつぎと殺害していったと伝えられている。
密教の僧侶といえども、弟子を多く持たなければ生活していけない。弟子は少ない給料で働く貴重な人材となる。弟子たちは少給でも我慢して修行にはげむことができるのは、少しずつ霊能力が高まり、神仏と近づくことができる喜びがあるからだ。年功序列で師匠に認められ、自尊心も満たされるだろう。
ところがそこに霊能力の高い弟子が新入りした場合、どうなる? 出家して数年で大僧正を超える霊能力を身に着けてしまったら。いや、そうはならない。
才能が際立つ者がいたら、霊能力が高くならないようにわざと法を教えないものだ。その才能を認める者が一人いたとしたら、蹴落とそうとする者はその数十倍いる。
ところが霊能者は神仏と直接情報交換ができるので、師匠が教えなくても、意地悪をされても神仏が法を教えてしまう。だから師匠が教えていないにもかかわらず、どんどん成長する。それは独学で法を身に着けているように見えるのだが、実は霊能者の守護神が家庭教師をしているのである。
ここで登場するのが密教の超法罪(おっぽうざい)。「師匠が教えていない法を独自に行うこと超法罪といい、極めて重い天罰が下る」と言って弟子たちを脅すのだ。
しかし、考えて見れば、師匠が教えていなくても「神仏が直接教えている」のであり超法罪ではない。だがそんな時、弟子に向かって師匠がいう言葉は決まっている。「ろくに修行もしない者に神仏が降りるわけがない。お前に降りている神仏は、にせものであり、魔である。」と非難される。霊能者にとってこの言葉は非常につらい。
実際に、霊能者に魔が降りることは少なくない。だが、魔ではなく神が降りている霊能者にも同じセリフが浴びせられる。
密教の世界では霊能者に対するこのような不遇は昔から存在し、未来永劫なくなることはない。そして本当に有能な霊能者は独自に学んでいくという道に入る。いや、独自に学ぶというよりも守護霊(神)が直接教えるのである。
密教はそもそも霊能者に対する教えであるというのに、霊能者に正しく伝授されて行かない理由は、「他の弟子にしめしがつかない」「弟子たちに反感を食らう」「従順な弟子が減ってしまう」という人間の支配欲によるところが大きい。
高野山では真言密教の修行僧のうち、霊能者はおよそ1割と言われている。9割が一般人であり、トップに立つのも9割の確率で一般人僧侶である。そうした現状の中、霊能者の行者は「霊能力があることは隠しなさい」と言われる。密教という「霊能者にしか伝承されない法」の場で「霊能力を隠しなさい」と言われる矛盾には驚く。
権威ある僧侶(霊能力が少ない)が、権威はないが霊能力が高い弟子を不遇にするということを防ぐ方法は一つしかない。それは人間の器と霊能力を等しい状態に保つことである。
権威ある僧侶は人間の器が大きいが霊能力が低いために「霊能者を育てる」ことができず、戒律を厳しくし過ぎて密教の霊力を年々弱くしていく。一方人間の器が小さく霊能力が高い者は師匠と決別し、独自に能力を高める。
霊能力と人間の器の両方が高い者にしか密教を伝授しないようにすれば、これらは解決する。が、それでは密教は「伝授できる人」が存在しなくなり絶滅する。だが、前述したように、霊能者は宗教組織がなくても、各地でゲリラ的に生まれ、そして守護霊(神)が呪術を霊能者に直接教えるので何の問題も起こらない。
ならば密教なんてそもそも必要ないと言われそうだ。いや、そうではなかろう。密教的な力を必要としている人に密教の力を配るには、弟子の数を増やさなければならない。そして密教のブランドがあってこそ仕事の依頼が来る。
しかし、インターネットが世界に広まっている今、霊能者は密教と言うブランドがなくても、呪術を必要としている人とネットを介して出会うことができる。そうなると本当に密教が不要となってくる。密教界の僧侶たちはそのブランドにあぐらをかいていられなくなるだろう。
少なくとも、今では多少霊能力のある医師が波動医学を駆使し、これまでは密教の僧侶にしかできなかった呪詛による難病も、ある程度解決できるようになっている。それを知らないのは僧侶ばかりなり。→次の本文を読む