霊能者たちのエゴ(本文)

 エゴとは自我。自我は解脱しない限り消失しない。そしてこの世に生まれた者は全員が自我を持つ。だから霊能者であってもエゴがある。たとえローマ法王と呼ばれるような権威のある人でさえ強烈なエゴを持つ。権威者のエゴは正当化され、神の意志のようにして皆に伝えられる。これは人間史が始まって以来ずっと続いている。日本でも同様であり、大僧正と呼ばれるような僧侶でさえ強烈なエゴを持っている。以下に霊能者のエゴについてまとめる。

密教のエゴ:越法罪(おっぽうざい)
 真言・天台密教では霊能者に法力を伝授する。しかし彼らはそれを免許制にしている。阿闍梨の免許を持たない者が法を誰かに伝授すると越法罪を犯したことになり、その者に対して神仏がとんでもない厳罰を処すと言い伝えられている。例えば阿闍梨の資格を持たない行者が、真言を一般人に教えることも越法罪であり、基本的に行者ではない信者にお経を渡して教えることも許されない大罪である。ネットで真言を調べて一般人がこれを口にすることも越法罪。子供が忍者の真似をして印を結ぶのも越法罪である。
 しかし、阿闍梨という資格があれば何を教えても自由。そういう法曹界にのみ通用する資格の問題に、神仏が罰を下すという脅迫は人間都合のエゴと思われても仕方がない。越法罪は呪術の独占のためにささやかれている罰であり、密教の闇の一つであろう。真の 越法罪 は、神仏を愚弄することをするかしないかであり、阿闍梨かそうでないかで決まるわけではないと私は思う。実際に阿闍梨であっても僧侶たちは様々な 越法罪 を受け、祟られたような死に方をする者が少なくない。

教祖のエゴ 
 霊能者が弟子や信者を持てば、その人数が少なくても教祖である。教祖はたいてい他の霊能者よりも優位性があることを示すために自分に降りてくる神(仏)は100%正義・潔白と宣言する。そして弟子や信者に降りてくる神(仏)を魔・邪と決めつけて彼らのプライドを傷つけておとしめる傾向がある。霊能者同士はたいてい足を引っ張り合う。とくに師匠は弟子の足を引っ張ってしまうのが人間のエゴである。弟子が優秀であれば師匠が嫉妬する。
教祖は自分の血族を2代目(跡継ぎ)にしたいのだが、2代目には霊能力が少ない。そこで弟子や信者の中に能力の高い霊能者がいると不遇にさせる。特に、急激に霊力を高めて来た弟子は師匠から徹底的に抑圧される。跡継ぎを血のつながっていない他人にさせることを防ぐためだ。どこの教団(宗派)もたいていそうなる。
 霊能者の能力が高まるのは中年以降であることが多いため、霊能者が強い霊力を発揮できる期間はとても短い。よって、後継者争いは日常茶飯事となり、霊能力の高い者はその抗争に巻き込まれる。そして教団を継ぐのは、能力の高い者ではなく、血縁か側近のイエスマンと決まっている。
 教祖が教団存続のための私利私欲を考え始めると、教祖に魔が降りるようになる。教祖の周囲にイエスマンしかいない場合、教祖は魔が降りてもそれに気づくことができず、魔に侵略されていく。これを防ぐためには、側近に「自分に意見する霊能者」を置いておく必要があるのだが、それができないのが普通。残念なことだが、多くの教祖がエゴに支配される。
 霊能力は霊能者にとっても怖い力なので弟子の霊能力を真剣に育てていこうとはなかなか思えないものだ。

優秀な治療師のエゴ
 漢方、鍼灸、マッサージ、カイロプラクティック、エステシャンなど西洋医学以外で医学で治らない病気を治そうとする者は、多かれ少なかれ必ず高次元のエネルギーの調整を無意識に行っているものである。つまり、西洋医学で治らない病気を治す実績のある者は小さな霊能者であることが多い。そしてレイキなども同様に難治性の病を治すポテンシャルを持つ。
 しかし彼らは僧侶ではないので神仏の世界(高次元世界)に対して勉強不足であることが多く、魔に由来した神(仏)と契約を結んでしまうことがある。霊能力を得たいという我欲が強いとその隙に乗じて魔系の神が力を貸してくれるようになるからだ。その力に酔いしれると人生は破滅に向かう。さまざまな邪悪な霊体を引き寄せてしまうからだ。そういった未熟なプチ霊能者に治療をされる患者も犠牲者となる。
 優秀な治療師ほど、難治性の患者を治療する機会が増え、患者に憑いている魔と接する機会が増える。ところがそのことを公表すると、弟子も患者も減るので「悪霊に憑かれる」危険性を隠して弟子・患者・信者集めをしてしまう。これが彼らのエゴである。
 ウイルスや細菌の研究者は、それが伝染しないように感染予防の方法を徹底的に教えられる。霊の研究者も同様に霊が患者に感染しないように対策を講じなければならない。が、目をつぶるという愚行に出てしまう。ただし、霊的な障害に対して策を講じている治療師も稀にいる。彼らは治療師の鏡である。
 能力の高い霊能者は当然ながら、お金や暇をかけて徹底的に憑依霊対策をしている。しかし、能力の低い霊能者は対策をしていないことが多い。患者にはそういった情報を得るすべがない。

 日本の密教の僧侶たちは、井の中の蛙であり、彼ら以上に霊能力を使いこなして人々の救済にあたっている一般人霊能者がいることを彼らは知らない。その狭い世界の中で越法罪を盾に「出る杭を叩く」ようなことをし、その結果密教の弱体化を招いている。
 プチ霊能者は神とつながることにご執心であるが、エゴが強いと神ではなく魔とつながっていることに気づかない。そしてたいてい自分に降りている神が100%潔白・正義であると信じ込んでいる。
 一般人はわずかな霊能力を頼りに、手探りでセミナーに参加し、怪我を治す特別な力を得て酔いしれる。しかし霊能力を強く欲するとそこに魔がつけ入り、自分自身が憑依霊の感染源になり、場合によっては自身が厳しい病魔に襲われてしまうことを誰にも教えてもらえずに漂流している。
 これらは霊界に対して知識が十分ではないことで起こる。我欲は真実を歪め、霊能者たちの意見の食い違いを生む。そして本来、こういった内容は全人類に共通している話であるから、家庭や学校で教えなければならない話である。
 以降、現場で活躍している霊能者たちの意見をまとめていくが、その際に、彼らの話が全て真実と考えるのではなく、「どこが我欲によって歪められているのか?」を各自が考えながら読んでいってほしいと願っている。→次の本文を読む