量子理論は時空の存在をあいまいにする。時間の概念、空間(距離)の概念が3次元的な思考とかけ離れているからだ。これらのあいまいな概念をまとめて「場」と呼んで理解しようという動きがある。場の理論は始まったばかりであり、天才科学者が頭を捻ったところで真実にたどりつくにはまだまだ遠い世界の話である。
理解ができない理論を語るのは空想や妄想と言われてしまう。例えば、念ずるとスプーンが曲がるという現象を目の前で見せられたとしても、それがインチキなのか本当に超能力なのかを立証することができない。金属が勝手に曲がってしまう現象を「量子トンネル効果」で説明できたとしても、それを証明することはできない。「証明できないが確かに実在している」科学のことを実在科学という。さらに実在さえはっきりしない場合は観念実在科学と呼ばれ、これは「科学ではない、疑似科学だ」と言われる。
私たちが量子医学を言葉に出して言う時、観念実在科学を避けなければならないというルールがある。つまり、実在すると言えるレベルの証拠を挙げなければならない。
が、最近はこのルールを無視して奇蹟的に治せる治療を量子医学と名付けて世間に公表している者が少なくない。これはでは量子医学の信用性が低下し自分の首を自分で絞めることになる。が、それだけは避けたい。
なぜなら、学問・学術は「思い込みや空想をできる限り排除している」ことを前提として人々に信頼を得るというブランドだからである。根拠のないオカルト治療=量子力学、と言い出せば、量子医学=インチキ治療、と呼ばれることになり、結局誰も量子医学を信じなくなり普及することができないという結果になる。
量子医学は未知なる治療に挑戦する医学であるから、多少の推理・推測はやむを得ないが、証拠を全く示すことができないのであれば、「〇〇医学」という言葉を使うことは許されない。軽はずみに宣伝することは真に量子医学を普及させていこうとする次世代の力を邪魔する行為となる。 →次の本文を読む