密教で護摩供養をする時は、その炎にお不動様を呼び出す。不動明王様は大日如来の化身であり強い法力を持つ。お不動様を呼ぶと眷属である12天(帝釈天、火天、焔摩天、伊舎那天、地天、風天、水天、毘沙門天、羅刹天、梵天、日天、月天)と8大童子などが一緒にやってくる。しかし焔摩天、伊舎那天、毘沙門天、羅刹天には魔に属する眷属がおられるので、その眷属の方々には帰っていただき、天井から網をかけ、そして魔が近づかぬように垣根に火をかける。そしてお不動様を接待し、行者に憑いていただく。火天様の座を用意して接待し火を作っていく。最後に宇宙の不動明王様を呼び出す。護摩供養ではこのような作法を行う。
こうした作法から私たちは学ぶべきことが二つある。一つは、力の強い神仏には友好的な神様だけでなく魔系の眷属が一緒にいることを忘れてはならないということ。善なる神仏は人間の味方というような偏見を持たない方がよい。高級な神にはたくさんの部下がいて、その中には人間の命など虫けらの命並みに扱う恐ろしい魔系の神も存在する。彼らは主に天罰のプロと言ってもよいだろう。高級な神に敬意を示さない人間に対し容赦なく天罰を与える。そうした荒くれ集団がバックに控えていることを片時も忘れてはならない。
もう一つは、護摩供養ではまずお不動様の分身を祈祷者に降ろし、人間対不動様という形で祈祷するのではなく、不動対不動という形で祈祷をするということ。だから霊能者が行う護摩供養は極めて高いご利益がある。しかし霊能力を持たない僧侶の祈祷は、人間対不動となるためご利益がほとんどない。つまり、霊能者の行う護摩供養から見ると、霊能力を持たない者の行う護摩供養はたき火でしかない。
真言密教に霊能力が必要な理由はここに集約される。霊能力を持つ密教の僧侶は1割に満たないと言われるが、私たちはそのことを忘れてはいけない。たき火に祈願してもご利益はほとんど得られないのだから。→次の本文を読む