仏教の世界では解脱を人生の目標に置く。解脱とは身体の牢獄(3次元世界)から抜け出すことを言う。体が牢獄であることを霊能者は体感できる。幽体離脱や、降霊がその一つである。降霊している最中は自分の身体を他の意識体に貸し出すため、自分の意識体は身体の牢獄から半分脱出している。身体は牢獄と言うよりも、機動戦士ガンダムでいうモビルスーツのようなものだ。霊能者は実際に操縦席を他人に貸すことができる。
仏教で言う解脱は身体から魂を抜くことを意味していない。意識がはっきりしていて、魂が身体の中にある状態で体の牢獄から抜け出すことを意味する。
私たちは生きているとさまざまな制約を受ける。海の中では生きられない。気温は-20~40℃の狭い範囲でいか生きられない。食べ物なしでは生きられない。水が十分にないと生きられないなど。その上、体を傷つければ痛みという罰があり、死の恐怖にとらわれている。そうした制約以外に、人は国に支配され、上司・年長者に支配され、家族に支配され、法律に支配されるなどの制約を受ける。それらを牢獄と呼んでいる。この世に生まれたからには、抜け出したくても抜けられない。
家族、同僚、親戚、ライバルなどから理不尽な意地悪をされ、プライドをとことん踏みつぶされると、人はその辛さから逃れるために自殺しようと考える。これは「命を絶つことで苦しみから逃げられると思うからだ。つまり自殺すれば解脱できるという誤解を多くの人は持っている。
だが、考えて見るとわかるが、プライドを踏みつぶされた苦しみは、肉体からの苦痛ではなく精神の苦痛であり、それを苦痛と判断しているのは自分自身の脳である。
10kmの山登りを強制させられれば強い苦痛だが、自分から進んで紅葉の山を登るのなら快感に変わる。同じことを経験しても、心がそれを苦痛か快感かを判断しているのは自分自身だ。プライドが傷ついて苦しいのは、相手を制裁したいという気持ちが達成できていないからであり、根本的には「制裁したがっている自我」が存在する。さらにその根本には「自分を価値ある素晴らしい人間であると認めてほしい」という自我があり、この自我が強すぎるほどプライドが傷つきやすく、心の苦痛が倍化するという原理がある。
さらに「素晴らしい人間と認めてほしい」という自我の奥深くには「人と比べることで自分の価値ができる」という価値観が存在している。学校や親から植え付けられた固定観念である。誰かと比較して自分が素晴らしいと思われることが価値であるから、比較されて「劣る」と判断されたときに心の苦痛が波のように押し寄る。そして価値がない(不当に価値を下げられている)と感じることで不幸になり生きている意味を失う。
では、彼が自殺をすることで、「自分には価値がない」と思い悩んだことを絶ちきれるだろうか。絶ち切れるのは肉体の死=心も消える、という迷信が真実だった場合のみである。もしも、肉体が死んでも魂が残るとしたら、この人は「自分は価値がない」と思い込んだ状態をそのままあの世でキープし続けることになる。しかも修正が効かないので永遠を苦しむことになる。その苦しみは想像を絶する。
ところがこの苦しみは、たった一つ「価値は自分が決めるものであり、他人の評価は参考程度にしかならない。」ということを理解したら、彼の人生はどう変わるだろう。「素晴らしい人間と認めてほしい」という自我が消え、「価値がない」と評価されても傷つかなくなる。たったそれだけのことで自殺を決意するまでに苦しんでいたものが消失してしまう。これを解脱というのである。
「価値は比較で決まる」という常識の呪縛を破り、「価値は自分で決める」と悟ったとたんに苦痛から解放される。苦痛は自分が作っていた幻影であることに気づく。
「われわれが自我を無くし自身の作る牢獄の壁を打ち破るほど、自らの存在の明澄さや輝きそして生命力に対する確信はそれだけでいっそう大きくなる。私たちが他者を助けるのは、博愛的な慈善行為とか敬虔な言葉や宗教的な説教によるよりは、はるかにこれによる(同著)」「他者を助けることと自らを救うことは協力し合って進行する。人は他者なしには存在しないのである。(同著)」「一切衆生は間違った想像にしがみつき、それを真実とおもいこむことで自分の幸福を壊しているのだ。全ての生命形体もあらゆる欲望の対象も雲の如きものである。しかし、誕生や生命や死でさえ、心が清浄で幻想から解き放たれている人に勝る力を持つことはできない。もしお前が世俗的な一切の所有を、お前の頭の上に想像された角と同じように実在ではなく、望むべきものでもなく、足手まといであると看倣すことができるなら、その時、お前は死と再生の環から解き放たれるであろう(同著:ナガール・ジュナ)」
解脱することはおそらく生きとし生けるもの全ての目標であるが、おそらく大僧正でも、新興宗教の教祖でさえも解脱できていない。そもそも人のトップに立つことは自我の最たるものだからである。普通の人でも解脱は難しいというのに、人のトップに立つ者が解脱することは超ウルトラC級に難しい。
死と再生の環とは転生輪廻を意味する。解脱できない者は解脱するまで永遠に転生を繰り返す。転生輪廻から抜け出すことを真の意味での解脱といい、涅槃(ねはん)という。→次の本文を読む