井口先生は浮遊霊を成仏させる能力や破邪の能力、結界を張る能力、透視能力や未来予知などの能力がある(しかも習ったのではなく湧き出てくるように習得した)というのに、その力で裕福になろうとしなかった。組織(教団)も作らず我欲に走らなかった。
私が彼を「解脱するお方だ」と思えたのはその点だった。解脱とは我欲を捨て、輪廻の輪から脱出することを意味する。霊能者は能力がいくら高くても解脱は簡単にはできないものだ。例えば教祖が組織を作って羽振りをよくしようとしている時点で解脱は遠のく。私にとっては我欲を制御しておられる姿がもっとも信頼がおける姿であり、井口先生の魂は今世で解脱し輪廻の外へと昇華されるのではないかと私は感じた。そのための最終試験のような形で現世が用意されているのだと私は直感した。
普通なら自身に神が宿る、または自身が神の生まれ変わりであることを確信すればするほど、人は傲慢になることを避けることができない。周囲の人々が神に対して敬意や謝意を表さないことに対して怒りを持つことが普通である。しかし井口先生はその逆だった。周囲にさげずまれることを楽しんでおられた。これが真に我欲を制御されている証だと私は感じた。もし、井口先生に興味を示された方は、漫画として出版されている実話集を購入するとよいだろう。
彼が述べたもっとも印象的な言葉があるのだが、それを紹介させていただく。
「神はとにかく厳しい。あまやかしてはくれない。だけど悪魔は本当にやさしい。心が折れてしまうようななぐさめや甘い言葉を投げかけてくる。」だった。これは実際に魔の誘いに乗ってしまう霊能者が多いことを物語っている。
私は霊能者たちの意見に食い違いが多い理由を追究したつもりだが、そのいきつくところが、「魔にそそのかされている可能性」である。誰かがゆるぎのない真実を述べていても、他の霊能者が作り話をしはじめると、どれが真実なのかわからなくなる。だが、真実にもっとも近い位置にいる者は「我欲に走らない」ことが確実である。逆に言えば、真偽を推し量るにはその部分以外(ご利益や霊能力の強さなど)を見てはいけないと私は思っている。
井口先生の仕事の方針は「一度で解決」。つまり何度も通わせてお布施をいただき続けるということをしないということ。多くの教団はその逆である。一生通わせ続ける。→次の本文を読む