著書「ルルドへの旅」の要約(本文)

 ルルドへの旅は小説仕立てとなっており、医学論文形式ではない。主人公のレラック博士はカレルを逆に読んで付けたネーミングであり、彼自身を指す。
 レラックがルルドへの旅に出たのは、ルルドの診療所から「病状の劇的な改善」という報告が送られて来ることへの信憑性を確かめるためだった。レラックはルルド診療所所長のボワサリーの著書を2冊読んだことで、そこに書いてある奇蹟的な治癒を科学的に調査するに値すると確信した。彼は「万一、明瞭な結果が得られれば、原因はどうあれ科学的に確定した事実は無視できない重要性を持つ」と考えた。
 レラックは大勢の難病の病人と同行する列車の旅(ルルドへ向かう)に出る。今回でルルド巡礼が25回目になるという神父が、レラックに「患者300人ごとに50~60人ほどは具合が良くなります。」と説明した。つまり5分の4は改善しない。が、全員が医学から見放された患者たちなので、一人でも回復すれば、奇蹟と言えよう。それが一人ではなく50~60人というのだから驚くばかりの数字であった。
 ルルドへ向かう列車の中でレラックはマリと呼ばれる一人の女性の痛みの処置を頼まれる。彼女は激しい苦痛のために体を左右によじりのたうっていた。全身がむくんでいた。レラックはモルヒネを打って対処した。が、列車は夜通し走って次の駅に着いた頃、彼女は昏睡状態になった。再びレラックが診ると意識を取り戻したので再びモルヒネを注射。
 レラックが彼女の腹部を診察したところ、腹部に硬い塊があり結核性腹膜炎の典型だった。
 彼女がここに来たいきさつは、18歳で胸膜炎にかかり、胸水を抜き取って一時回復したものの、今度は腹部が膨満し、熱が出現。結核性腹膜炎と診断された。担当医は手術を受けさせるために他の病院へ送ったが、そこの主治医は手術に耐えられないほど重篤であると判断して手術を見送った。主治医は家族に「病状が絶望的」と説明。彼女は元の病院に戻されてしまった。そこで彼女のたっての願いでルルドへの巡礼に参加した。本当は参加することも無理なほどに彼女は衰弱していた。
 到着してルルドの病院で彼女は寝かされた。再度レラックが診察すると、彼女はものすごい頻脈になっていて、ひん死の状態だった。
 修道女がレラックに「マリを水浴に連れていってもよいか」と訊ねた。「ルルドの洞窟で亡くなってしまったらどうするのかね」とレラックは言った。「この娘さんは失うものがありません」と修道女は言い、結局連れて行くことになった。別のJ医師がマリを見て「きっと亡くなりますよ」と繰り返した。
 一方、今日、リヨン市立病院の看護婦が、松葉杖で歩いていたのだが、洞窟で十字を切って水を飲んだとたんに歩けるようになったということをレラックは耳にした。
 また、名の知れた医師が彼の息子の手を引いて落ち込んでいる姿があった。骨肉腫の息子のためにここに来たのだが奇蹟が起こらなかったという。
 マリは担架で洞窟に運ばれた。泉の水を腹部に垂らしてもらい、彼女は祈った。その直後レラックは彼女を見て驚く。顔の黒ずみがなくなり、肌の死人のような色も薄らいでいた。光のなかった目が洞窟の方へ視線を向けている。20数分でマリの腹部の膨満が跡形もなく消えてなくなっていた。数時間後にはベッドに座り元気になっていた。完治していた。
 ここからレラックの葛藤が始まった。結核性腹膜炎が誤診かもしれないと。しかし絶対に間違えるはずのない彼女のような症候を誤診することなどあり得ない。ましてや彼女を診た二人の医師も同じように診断している。3人の医師が全員誤診するなどあり得ない。しかもひん死の状態だった。が、治ったのだ。
 「これは見かけの治癒にすぎないのか、激烈な刺激を伴う自己暗示の結果として生じた、通常の機能的改善を超えた何かだろうか? あるいは病変が現実に治癒したのか?」と彼は思い悩んだ。科学と両立することのできない事実だ。唯一の論理的解決策は超自然的なものの存在を認めることしかない。
「間違いなく奇蹟です。私が誤診していなければ」とレラックは言った。これまで信じていたものがすべてひっくり返ってしまった。絶対に起こりえないことがただの現実になった。→次の本文を読む