菩薩・六道(本文)

 私たちは「どこまで行っても一人。」という個別的な孤立性の幻影に支配されている。それゆえ、われわれのすみかは無常で不安定な恐ろしい世界に思える。菩薩はこの孤立させている壁を取り払い、自由への視野を開かせようとしている。菩薩とは転生輪廻から離脱することができた意識体である。この菩薩の態度は、憐感、善意、無我愛ではなく、精神的自由の自然な態度と感じられる。菩薩は同胞の苦しみについて知り、それらを自身のものとして体験し、自身の解脱が他の全てのものの解脱と同等とされうる。その行為は無限の献身の行為。菩薩の力を利用したいと願うなら、われわれはそれらに向かって自身を開き、それらに向かなければならない。菩薩の姿は悟った者として、最高の天、最深の地獄、人間や動物、他の非人間的領域にも同様に現れる。
 密教では悟った(解脱した)者と悟っていない者の二つの世界に分けられ、悟っていない者の世界は六つの領域があるとされる。悟ることができない3つの根本原因として

1.貪欲(激情的欲望、執着:象徴、赤い雄鶏)、
2.憎悪(悪意と嫌悪、象徴:緑の蛇)、
3.迷い(無知、自我幻想の暗闇、黒い豚)
を挙げる。
 6領域は永遠の争いと不和の世界、和解できない対立の世界である。驚くべきことに、6つの世界の中には神々の世界(天部)も含まれている。つまり神々もまた悟りを開けていない者たちであり、神々同士の争いが絶えないことを意味している。神々は生命の本性、生存の限界、他の存在の苦しみも忘れている。彼らは、自身を幸せな状態へと導いた原因が尽きるや否や終わりに至るということを知らない。天の領域への再生は自我幻想の強化へと導き、輪廻から抜け出せなくなる。この発想は驚くべきである。天界(天国)に行くと輪廻から抜け出せなくなると警告しているからだ。誰もが死後に行くことを憧れる天界を、密教は暗に否定しているのだ。
天界の特徴:幻影的な本性・短命性の無知
人間界の特徴:決断の自由がある。なぜなら他の5つの界が到達可能な距離にあることが意識され、最終的解脱のチャンスが人間界にある。特徴:傲慢、自惚れ
餓鬼界の特徴:欲求対象に対する満たされることのない無力な執着の裏面に激情が見られる世界。安らぎのないバケモノのような存在へと導かれている。特徴:あくなき欲求への救いのない束縛
 阿修羅界の特徴:常に戦い争っている。特徴:妬み
 畜生界の特徴:最も粗野な形での無知。発達の劣った意識、知的能力の欠如。特徴:迷妄
 地獄界の特徴:天界の対極。特徴:憎悪
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