草なぎの剣は伝説では天智天皇の時代に新羅から来た僧によって盗まれるが、剣が独りでに飛んで熱田神社に戻り、再び盗まれたが船が難破、その道中に剣を海に捨てようとしたが剣が体から離れなかった。この事件後天武天皇が剣を宮中に安置。しかし、熱田神社に戻さないことによる祟りで天武天皇が崩御(死去)。江戸時代に熱田神社の神官の4~5人が剣を見た。その4~5人は亡くなるか流罪になった。
平将門の首塚
首塚は関東大震災後の跡地に都市再開発として大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大臣・早速整爾の相次ぐ不審死が起こった。将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した事件や、第二次世界大戦後にGHQが丸の内周辺の区画整理にとって障害となるこの地を撤去し造成しようとした時、不審な事故が相次いだため、計画を取り止めた。→本文を読む