草なぎの剣・平将門の首塚(本文)

 草なぎの剣は天皇が代々継承する3種の神器の一つである。草なぎの剣は盗難されるなどの受難があったにもかかわらず、熱田神社に祀られて当時の姿を今に残している。世界最古のレガリア。
 伝説では天智天皇の時代に新羅から来た僧によって盗まれるが、剣が独りでに飛んで熱田神社に戻り、再び盗まれたが船が難破、その道中に剣を海に捨てようとしたが剣が体から離れなかった。
 この事件後天武天皇が剣を宮中に安置。しかし、熱田神社に戻さないことによる祟りで天武天皇が崩御(死去)。平清盛の時代に紛失。南北朝時代に偽造・宮中から盗難。熱田神社で火災が起こるが草なぎの剣を入れた木箱だけは残っていた。
 陽成天皇が草なぎの剣を抜いたとき、剣は輝きあたりを照らした。怖くなって剣を手放すとひとりでにさやに戻った。江戸時代に熱田神社の神官の4~5人が剣を見た。その4~5人は亡くなるか流罪になった(出典:神仏ネット)。

平将門の首塚
 首塚は3か所あり、その中でも最も著名なのが東京都千代田区大手町、三井物産本社ビル傍にある首塚で、東京都指定の旧跡となっている。
関東大震災後の跡地に都市再開発として大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大臣・早速整爾の相次ぐ不審死が起こった。
将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した事件や、第二次世界大戦後にGHQが丸の内周辺の区画整理にとって障害となるこの地を撤去し造成しようとした時、不審な事故が相次いだため、計画を取り止めたという事件がある(出典:wikipedia)。

 祟りで不審死に至る事件は各地で起こっている。不審死が1名であれば偶然と判断することができるが、一度に数名以上となると統計学的には偶然であることが有意に否定される。草なぎの剣や平将門の首塚ではそのあり得ないほど低い確率の不審死が何度も起こる。つまり数学的には不審死が「限りなく必然に近い」と断定される。
 それでも祟りを恐れない者は愚行に走るが、ことごとく死に至るということは、そこから学ぶべきものがあるはずである。高次元のエネルギー(霊力)によって人の健康や命が操作できることを知り、人は生かされているという現状を認識すべきと私は思う。病気という祟りは「罰」よりも「修行」の意味合いが強いかもしれないが、死という祟りは「罰」や「見せしめ」としての意味合いが濃くなる。→次の本文を読