第5章はじめに(本文)

 量子力学はこれまでの科学概念を間違いなく破壊した。破壊という言い方はおおげさのように聞こえるがそうではない。量子論の出現により科学への認識が二つ変わった。
 一つは素粒子が3次元世界では取り得ない動きをするため、それを認めることは「今までオカルトとして切り捨てていた現象の中に真実が含まれているかもしれない」という認識(例:高次元世界が存在するなど)。
 もう一つは、今まで科学的に正しいとされてきた事実の中に理論の飛躍があることの認識(この章ではこの認識について述べる)である。飛躍があるということは、厳粛に受け止めなければならない。なぜならば飛躍=オカルト、だからである。
 つまり、これまで私たちが「科学的」と思っていた事実にオカルトが少なくないと量子力学は主張しているも同然なのである。破壊とはこのことを言う。だから量子力学はこれまでの科学のことを旧科学と呼んでいる。 
 しかし、前にも述べたように、機械論者は根強く量子力学に激しい憎悪の念を向け、現在でも量子力学的に生体の反応を解明していくことに関しては「絶対に信じない、そんなことは認めない」との姿勢を崩していない。特に自然科学(医学)の分野での反発はすさまじい。その気持ちは十分に理解できる。旧科学者たちは量子論を生物や人間にあてはめていくことを大変嫌っている。それは「生体は機械論では説明できない」という、彼らにとって最も不利な状況に追いやられるからである。
 量子論者が論文を発表するたびに、発表者と機械論者は決着のつかない大喧嘩をする。しかし、量子力学は100年前に始まったばかりの学問なので証拠集めが不十分である。だから反論に対抗できないという状態である。医学はその代表であろう。
量子力学が少しでも医学の分野に入り込めば、西洋医学万能であるという市民への洗脳が解けてしまう。機械論者がもっとも恐れるシナリオである。
 なぜならば医学はどの国においても国家予算の1位となる利権の宝庫、かつ国民を扇動するためのアメ。その利権が量子論によって崩されることは16世紀の宗教改革に継ぐ大惨事(支配者にとっての大惨事)となる。支配者たちは当然のように機械論者を支持しようとするので、彼らの主張は虎の威を借りてますます強固になる。いずれ医学も量子論に必ず飲み込まれるが、それまでの期間は彼らのあがきが強くなるので量子について述べる者はある程度控えめに行動しなければ命が危ない。
 ところが機械論者たちも、時代の流れには勝てず、量子力学はコンピューター、電気通信、レーザー、コンパクトディスク、MRI・・・といったさまざまな分野で現代の技術を支えていることを認めざるを得なくなってきている。彼らは機械の分野では負けを認めるしかない。しかし、生物や医学の分野では、機械論者は絶対に量子論を認めない。彼らは最後まであがく。
 強気である理由は素粒子のデコヒーレンス(無秩序な)状態を生物がどうやって回避するのかが解明されていないからである。量子理論が生体に関わるためには素粒子が整然と動く(コヒーレンス状態)必要があり、それは理論上、絶対零度近くにならないと普通はそのような状態にはならない。
 生物は絶対零度から見ればかなり高温で生きており、素粒子が無秩序な動き(デコヒーレンス)をする温度帯にある。この問題を量子力学が決着をつけない限り、機械論者は強硬姿勢を崩さない。つまり、生命の謎が完全に解けるまでは量子論を認めないという姿勢を崩さないということだ。
 ここに宣言しておくが、量子力学が生体内での素粒子のコヒーレント状態を証明できるようになれば、機械論の代表格である医学・薬学・化学・生物学はがらっと変わる。すなわち、今はそれを証明できないので医学・薬学・化学・生物学は旧世代の理論のままである。おそらく1000年後には証明されるようになると思うが、それまでの1000年間は医学・薬学・化学・生物学の化石時代であると私は思う。
 量子力学の父と呼ばれたシュレーディンガー(1933年ノーベル物理学賞受賞)は
「生体組織とは温度が絶対零度に近づき分子の不規則さがなくなるにつれて、全ての系が従う純粋に機械的な動きに、その動きの一部が近づく巨視的な系であると考えられる」と述べている。以下の文章は「「量子進化」「量子力学で生命の謎を解く」ジョンジョー・マクファーデン著)」を参考にしている。→次の本文を読む