第4章はじめに(本文)

 私たちは科学で何がわかり、何ができるかを学校教育で学ぶ。しかし科学の限界がどこにあるかを教えてもらえない。
 科学の限界がどこにあるのかを知っているのは最先端の科学者のみである。ただし、「科学で何でも解明できるはずであり、科学で解明できないものは基本的にはない、時代が進めば、古典的な物理・化学で全てが解明される。つまり科学には限界がない」と信じ切っている科学者が大多数であることが科学史を見るとわかる。生気論と機械論の対立が実例だ。生気論者は生命や心、本能などは「古典的な物理では説明のつかないエネルギーが働いている」と述べ、機械論者は「あらゆる生命現象は原則的に物理学的に説明できる」と主張する。両者の意見の対立は有史以来現在まで続いている。したがってここで「科学ができないこと」を述べることはすでに「機械論者を論破する姿勢」になっている。よって機械論者たちは、私がここに何を記述したとしても永遠に納得することはなく、「あ~いえば、こ~いう」という手法で反論してくるだろう。
 だから生気論者はその反論をかわす目的で、自分の推論を可能な限り言わず、他の大学教授先生の言葉だけを用いるという工夫をする。「攻撃するなら他の教授先生たちを攻撃してください」と矛先を変えるためだ。
 生気論的に考察するとわかることだが、生気論は「説明がつかない現象の存在」を主張しているわけだから、未来において科学がどれほど進歩しても完全な説明がつかない事象があると主張している。
 説明がつかないことを完全に証明するには、説明をつけなければならない。しかし機械論者は説明がつけられない理論を認めないのだから彼らに「説明がつかないことを納得させる」ことは不可能だという理屈がわかるはずだ。つまり、生気論的に「機械論者との争いは今後何億年経っても続く」ことが証明されている。
 機械論者は生まれたばかりの赤ん坊に「微分積分の問題が解けるはずだ」と言い続けることはわかっている。それは微分積分が赤ん坊の知能からどれほどかけ離れている計算なのかを理解していないからである。
 そのよい例が人工知能である。量子力学者として世界的に有名なペンローズは脳が量子力学的に動いていることを解剖学的に説明して科学者たちに敵意を向けられたが…。人工知能の総大将のマーヴィン・ミンスキーはペンローズのことをこう書き下ろしている。
「人工知能が意識を持つのは当たり前だ。人工知能にできないことなどないのだ。だが一部の馬鹿ものはどうしてもそのことを理解しようとしない。あのペンローズとかいう輩は自分が他人よりも頭が良いことを鼻にかけて人の仕事を中傷しているのだ。」と。
 これに対しペンローズは1989年に「皇帝の新しい心」の著書の中で人工知能は「裸の王様」だと激しく批判した。
 ペンローズのような天才が「人工知能ができないこと」を数学的に説明し、世界中の科学者の間で話題となったのだが、納得できない数学・哲学・コンピューター科学などの専門分野の科学者たちが一斉に批判した。その批判内容はインターネットの「サイキ(Pcyche)」にある。ここでそれを披露しないが、10人の専門家が述べている反論はレベルが低過ぎて、あるいわ十分にペンローズの理論を理解していなかったので、話にならなかったそうだ(「ペンローズの量子脳理論」より)。知識レベルの低い専門家ほど、喧嘩腰の批判をするようだ。
 だから「科学でできない神秘的な事例」を百も千も掲げて、「科学が矛盾に満ちている」ことを専門家たちに述べることは無駄であることがわかる。私はインターネットで機械論者が生物たちの神秘的な行動に対する論文を激怒しながら「詐欺師、ペテン師」とののしっている記事をいやというほど閲覧した。そして彼らが自分の意見を見直すことを絶対にないことを確信した。理由は前述した通り、神秘的なものには説明ができない。説明ができなければ彼らは納得しない。ただそれだけだ。→次の本文を読む