第16章はじめに(本文)

 「霊」という言葉に馴染みのない私たちは生霊という言葉を聞くと、さらにオカルト的にとらえてしまいがちである。
 死ぬと肉体と意識が分別され、霊体になることを理解できたとしても、生きている人間が霊を飛ばすという話は理解することは難しい。なぜなら、生きている=肉体と霊体が結びついている状態、なので「霊を飛ばすことは不可能」なはずだからだ。よって生霊は想像上の話と考えざるを得ない。
 私が調べた範囲では、密教やチベット医学の書物を調べても、生霊について詳細は記載されていなかった。
 しかし、日本には生霊の対処法について専門的に研究している職業がある。それは陰陽師である。陰陽師は古代日本の官職の一つであり、オカルトではなく極めてまじめな国家認定の機関である。平安時代に入ると霊的な攻撃から要人を守ること、その延長として結界を張ることなどを職務とした。
 日本を歴史的に見ると、平安時代の後は昭和初期まで戦乱&戦争の世が続いた。今なお、北朝鮮はミサイルを日本に向けて飛ばしている。いつの時代も人の命が非常に粗末に扱われた。武士同士で戦争をすることだけでなく、公家同士で暗殺や冤罪で死罪にすることなど、戦乱の世ではありとあらゆる暗殺がくわだてられ、敵の大将を呪い殺すことも戦法の一つだった。
 陰陽師は主に公家の命を守るため、敵からの呪詛攻撃を破り、呪詛返しを行い、結界を張る役割を担った。忍者は呪術を用いて暗殺を行うことの専門家であるが、彼らの祖先も陰陽師であると言われる。
 呪詛の存在はすなわち、生きている者が思念や怨念を飛ばすことができることの証拠であり、霊的なエネルギーを発しているのは死んだ者よりもむしろ生きている者であることがわかる。陰陽師はまさに生きている者が飛ばす怨念や霊体を扱っており、生霊の研究で彼らの右に出る者はいないだろう。
 そこで本章では阿部成道(陰陽師)著、「念」を参考にして生霊について考える。→次の本文を読む