科学史からの深読み(本文)

 これらの科学年表を深読みすることにする。科学は常に「見えないものを目に見える形に理論化しようとしている」ことがわかる。ここで重要なことは「常に」という単語一つである。古代では触れないほど遠くにあるものとして天体の動きを理論化しようと努力した。しかし、その結果は無残にも「天体が動く」という嘘を普及させてしまった。見えない、触れないものに対する理論は、それを嘘と証明することも、本当と証明することもできない。だから科学といえども「常に」正しい理論が普及するとは限らないのである。それでも科学の進歩は少しずつであるが真実に近づいて行く。しかし、科学が真実に近づけば近づくほど、真理は遠ざかる。いや、真理は遠ざかるのではなく無限に深く広いことがわかっていくのである。円錐形の海に沈んでいくかのように、海底行けば行くほど広がっている。
 だから私たちは「常に」わからないことだらけなのである。100年前は「馬鹿げた事を」と笑っていた理論が、100年後には正論となっているのだから科学は皮肉なものである。そして「馬鹿げた理論が正論となる」ことは「常に」起こっている。二千数百年の科学の歴史が「常に」そうなのだ。
 ところが、高校で習う理科・化学・物理・生物などの内容が「千年後にはほとんどすべてががらりと変わっている」と推測する人はまずいないだろう。教科書には普遍的な真理が書かれていて、改訂されたとしても「全く変わる」とは多くの人が思っていないからだ。実際変わらないかもしれない。
 しかし「教科書が変わらない」ことは非常に恐ろしいことである。科学の真理として、「知識が真理に近づけば近づくほどわからないことが多くなる」ことはほぼ絶対的に間違いのない事実だからだ。科学が進歩することは「見えないものが見えてくる」ことを意味する。すなわち、これまで見えてこなかった疑問が見えてくることが進歩なのである。
 もし、教科書が千年経っても変わらないのであれば、それは「意図的に変えない」ようにしている。近年の科学年表を見てわかることは、教科書は千年経てばまるっきり変わるということだ。
 だが、人々がそう思わないのであれば、それは意図的に「科学は変化しない」と洗脳されている。
 そして事実、紀元前200年から1700年代までの約二千年間、ずっと教科書は天動説のままだった。天動説に反対する理論を述べた者は投獄された。そして現在、科学は相対性理論と量子論で二度の大変革を経験し、教科書の内容が「古典」と言われるほどになった。それでも高校の授業でこの二つを教わることはない。つまり150年前の状態で教科書は意図的に止められている。だから人々は教科書が何年経っても変わらないと思っているのだろう。
 科学年表を深読みする時、私たちは学校教育によって知識が過去の状態のままでいるように細工されているかもしれないという意識を持ってほしい。
 そういう意識を持たなければ量子医学を「なにをバカげたことを言ってるんだ」と言って無視するようになるだろう。 →次の本文を読む