科学を敬う姿勢(本文)

 科学によって洗脳されている人々に、科学の稚拙さを説くために「絶対にやってはいけないこと」がある。それは科学を非難することである。科学の洗脳を解除できるのは科学の力のみである。だから科学を非難した時点で「洗脳の解除のための治療薬」を失うことになる。
 わかりやすく例えると、アメリカ合衆国の国際特許制度だ。特許制度は世界からお金を吸い上げるために作られている。そして私たちもまた、その特許制度の恩恵を受けて豊かな暮らしをしている一面もある。科学技術はまさに特許のようなものである。特許制度は壊そうと思っても絶対に壊れない。特許を利用して儲けている先進国があまりにも多いからだ。だから真に世の中を変えていきたいのであれば、自分たちも特許を申請し、ルールにのっとって権利を主張することだ。一度でも特許を申請されてしまうと、アメリカ合衆国はそれが他国の利益になるとわかっていても、阻止することができない。ルールを破ることは自分の首を絞めることになるからだ。
 科学もそれと同じで、世界中の民が科学に洗脳されている。それは「科学的であれば洗脳してもよい」というルールがあるからなのだ。学校教育はそのルールにのっとっているにすぎない。よって国の首脳陣は「科学理論を用いれば」学校教育を用いて国民を洗脳することが堂々と許されている。逆に言えば「科学以外で国民を洗脳することが許されていない。」のである。だから義務教育では宗教が廃止されている。特許を申請する以外で金儲けが許されていないのと同じだ。だから科学によるマインドコントロールを解くには科学的な手法で解除していくしかない。
 宗教団体は科学を用いず、「教義を信じなさい」と述べることで洗脳を解こうとする。だからこそ広まらないし、潰しにかかられるのである。
 昨今、宗教家たちが科学をバカにするような発言が多いが、それは世を改革することの近道ではあり得ない。少数だけを救う「ノアの箱舟」でしかない。人類全体を改革しようとするならば、科学は不可欠であり、科学をもっと敬わなければならない。
 ちまたでは、少し知識レベルの高い方が自分のブログで「科学は嘘だらけ」「科学はくそ!」とこけおろして書いているのをよくみかける。しかし、科学を非難する者の意見は「信用できない」と思われることにより、その意見は信憑性を失う。だから真実を語ろうと思う者は科学を用いて科学の嘘を証明しなければならない。この法則は人間史を見てきても崩れたためしがない。確かに科学に嘘は多い(いや、真実と言うものが存在しない)が、嘘であることを科学で証明しなければならないというルールがあるのが人間の世界である。
 神や仏の世界を説こうとする者たちはとかくこのルールを無視する。宗教家が科学に無視され続けてきたから無視し返して報復するのだ。彼らは科学技術の上にあぐらをかいて生活しているというのに「科学をバカにする発言」をする。しかしそのおかげで彼らは人々の信用性を失う。神を敬う前に人間を敬わなければ人々に真実を語っても広まらない。先進国の人々の大部分が科学に洗脳されているわけだから人間を敬うとは「科学を敬うこと」である。神や仏の世界は真実に近いと私は個人的に思っているが、しかし、それを可能な限り科学的に説明できた方が人類を救えると私は考える。 →次の本文を読む