科学ができないことは命を創ることと意識を持った人工知能を創ること。機械論者は反論しているが実際には成功していない。
おそらく、国民の半数が「科学で解明できない神秘的なことが存在する」ことを納得しているが、それは義務教育では決して述べてはいけないタブーとなっている。つまり、戦後の学校教育は「科学万能」を植え付ける制度になったと言える。
病気になったからといって神仏に祈る人はいない。ほとんど全員が病院にかかる。そして病院で全ての病気が治ると過半数が信じている。
量子論者は受精卵から人間が出来て行く現象は遺伝子情報だけでは説明がつかないこと、進化がランダムに起こっているわけではなく後天的に獲得した形質もフィードバックされること、電子の軌道がわかっていないことなどを指摘(詳細は第5章で述べる)。
生物学者のシェルドレイクは「科学で解明できない現象」を研究し、著書でそれらを世間に知らしめ、米国のPBSテレビは、「現在もっとも注目すべき6人の科学者」の1人に挙げるほど有名になった。
シェルドレイクはペットが飼い主の帰宅時間を察知して出迎える能力や、ハトの帰巣本能が科学理論を超えていることなど、ユニークな方法で生命の不思議を示した。身の回りの動物たちが超能力と呼べるほどの摩訶不思議な能力を普通に持っていることを示し、それらは科学では全く説明がつかないことを次々と論証して行った。
私たちはこのように「科学ができないこと」を論述する者が「なぜ注目を浴びるのか?」を逆に考えるべきである。生命の神秘に科学が追いついていないことは当たり前の話である。しかし、実際に当たり前であれば彼らが注目を浴びることもない。科学が万能と誰もが思っているからこそ、彼らの発言が「トンデモ発言」に聞こえてしまう。
本当は「科学が万能」と思っていることの方がクレイジーだと気づかなければならない。科学が万能だと誰かに洗脳されてしまったのではないかと想像することが必要な時代になったと言える。