シャーマン(霊能者)は進化した高次元意識体を自分の脳内(心の中)に召喚することができる。この場合、霊能者のことを供養者と呼ぶ。
「神的存在を供養者の意識に対する二元性(自分の意識と高次元意識の併存)の状態において、視覚的に体験するために、供養者自身が自らの内に神的存在の姿を生みだし、それを自分の前の像に投影するのである。この内的視覚が一切の任意性を超えている(幻覚ではないという意味)ことは言うまでもない。すなわち人間の外的な目を超えている神的存在は、視覚の内的領域(第2の目と呼ばれる)に出現させられるのであり、超人間的実在は人間の意識の内に映し出されねばならない(同著)。」とある。
これは霊能(供養)者が実際に神を降ろす際の現象を可能な限り客観的に記した内容である。何度も言うが、私は毎日霊能者と暮らしており、そばで霊能者を観察する限り、上記の文章はすんなり理解できる。しかし、おそらく一般の方々には何を言っているのかさっぱりわからないと思う。私は「密教は霊能者にしか開かれていない」と言ったのはこのことを言う。長年修行を積んだ僧侶でさえ、霊能力がなければ密教に書かれてある内容はちんぷんかんぷんであろう。
また「瞑想の際に心に描かれる禅定仏は実在である(同著)」と断言している。この断言も霊能者の間だけで通じる。神仏を降ろすことのできない霊能者、及び一般の方々に理解することは難しい。が、再度言うが実在である。
また、この能力は次のように語られている。
「人間の意識という道具は、楽器のように常に新たに調律されなければならない。そしてその調律は正しい振動の知識、すなわち高度な感受性と専心(一つのことに集中すること)とが必要とされる振動の関係を感知する能力によっている(同著)。」
これは霊能者の意識はラジオのチューニングのように周波数を高次元に合わせることで神様チャンネルから情報を引き出せるという意味である。
では神を降ろすことで何を得られるのか? たいていは応援かアドバイスであるが、実際に願い事を叶えてくれる場合もある。しかし、魔を召喚すれば人を呪うこともできてしまい、ずるをして支配者階級にのしあがることも、お金持ちになることも叶う。善を召喚するよりも悪を召喚した方が我欲を満たすことができる。
中世ヨーロッパでは、この「呪う力」を恐れた民衆が、霊能者を片っ端からリンチして殺したという歴史がある。いわゆる魔女狩りである。「呪う力」は殺人の完全犯罪ができるため、民衆が完全犯罪に裁きを下そうとしたのである。詳しくは17章で。→次の本文を読む