ブッダは超越した霊能力で宇宙の真理と一体化し、高次元世界の構造を理解し、全て(精神も物体も宇宙のちりも)はエネルギーのゆらぎ(振動)であるにすぎないことを悟った。
しかし、こうした言葉も実は真理からはるかに遠い。私たちの今の知識力で理解できるのはせいぜい4次元世界であり、さらに5次元、6次元・・・となるとどんな言葉を用いても表現できない。
アインシュタインがE=mc²を唱え、私たちも含めて全ての物体はエネルギー(振動)であり、「空」であるということを今の時代なら理解できるが、これを鎌倉時代の人に説明しても理解できない。だから信じてもらえない。そしてそれを説いた者は狂人扱いされる。
だが、ブッダが認識している真理を、各時代の人々に「やっとの思いで説明する」とすれば、その表現は各時代の教養レベルに応じて激しく変化せざるを得ない。10万年後の未来の人々に説明するのであれば、転生輪廻や神々の生態、宇宙の意志などについてより具体的に真理を教えることができるだろう。
しかし、各時代において人々の抱える問題(戦争、餓死、疫病、政治など)は常に変化し、その解決手段・方法も激しく異なり、思想や精神構造から文化までまるで異なっている場合、真理の表現方法が当然ながら変わってしまう。真理自体に変化はないが、真理を実生活に例えようとすると「まるで別物」にならざるを得ない。
その理由は、真理があまりにも遠く深いところにあるからだ。現在の私たちが思い描いている真理でさえ、100万ある真理のうちの1にもなっていない。
もしも、私たちの心に描いている真理が、真の真理の50%以上の知識に達していたのなら、各時代においても真理の説明はそれほど大きな変化は示さないし、未来においても変化率は50%以下である。ところが、私たちの思い描く真理が、宇宙の真理の100万分の1程度にすぎなかった場合、1000年後の未来においても、真理の解釈が激しく変化している。
各時代の宗教の開祖者は密教や仏教を学び、そして「真理をつかんだ」と勘違いするまぬけ野郎である。どんな偉大な宗教家でさえ真理には到達しないのが真理。
ところがまぬけ野郎が説いている真理は、確かに、各時代で解脱を得るための「有利な教え」になっている。世界中に宗教の数は無数にあり、開祖者の数も無数である。彼らの理論は真理の足元にも及んでいないが、各時代で人々が精神的充実感を得るために役だっている。そういう意味で真理に近づいていると言える。
日本では日蓮上人が「法華経以外は邪道」として他の宗教を激しく非難したが、「法華経以外は邪道」は真理ではない。カトリック、プロテスタント、モルモン教などもそうである。各時代で真理は激しく変化し、歪められ、対立する。
その理由は再度言うが、私たちが真理として知っている知識が、全真理の100万分の1にも満たないほど少ないからである。
結局、ブッダの述べている真理は異次元に果てしなく続くものであり、我々人間の誰が説明しようとも的を射ない。神・仏・霊・悪魔・鬼神・地獄・輪廻などについて各宗教家がいろいろと解説するが、それらはブッダの知識の手のひらの上から出ることさえできない。
密教では真理について「理解するものではない」と述べているが、それだけが真理についての唯一の正解であろう。
「真理は引き継がれることができず、絶え間なく再発見されねばならない。真理がその意味、生きた価値、精神的滋養を保持できるとするなら、それは常に再形成され変形されなければならない。これが精神の成長の法則である。(同著)」と述べている。
過去の記憶の大部分を消去されて転生する理由は前述した。過去の記憶が精神(霊能力)を成長させるための障害になるからだ。過去の記憶は新しい経験や知識を詰め込むときに邪魔になる。なにせ、次回は地球の人間に生まれるとも限っていないのだから。記憶を持てば逆に真理から遠ざかるからだろう。まあ、過去の記憶を保持して生まれる人がマレにいることは前述しているが。→次の本文を読む