波動医学は慢性病において西洋医学を凌ぐすばらしい治療であると思われる。だが、波動医学者は「なぜ西洋医学の上を行く」のかの理由をはっきり認識しておかなければならない。それは波動医学が手掛けている分野が、西洋医学が手掛けている分野と全くテリトリーが異なるからに他ならないということ。例えるなら、西洋医学は工業を手掛け、波動医学は農業を手掛けている。農業の機械化で生産性は上がるが、品種改良や土壌の研究、自然環境との関連性などは工業ではどうにもならない。品種改良や土壌研究において工業と農業が競い合えば、圧倒的に農業が優勢である。
それと同じように、急性病と慢性病はテリトリーが異なる。物理的な原因で生じるのが急性病であり、形態形成場・生命場の異常で生じるのが慢性病である。急性病と慢性病は「治しているものが異なる」のだから専門が違う。
急性と慢性の二つの病態は、時に交わり、交わった部分ではどちらの治療法ででも治すことが可能。しかし、交わっていない部分は専門的に治す方がよいのは当然のことである。
ここで重要なことは、波動医学はどこまで行っても「場」の理論から外れないということ。修正しているのは小手先の波動ではなく、生命を包んでいる「場」を治療しようとしているということをしっかり自覚してほしい。
「場」の存在は推定できるが、場はおそらく4次元以上のエネルギー体であるから3次元世界では全容を知ることはできない。つまり、波動医学は全容を知ることが不可能な世界を修正しようとしているのであり、どこまで科学的に研究が進んだとしても全容が判明することは将来的にもあり得ない。だから何千年経っても波動医学は謎めいた部分を必ず残す。
ところが、西洋医学の歴史を見れば明らかだが、彼らは科学で社会を支配し、支配力を維持するために「科学で判明しないものを排除」しにかかる。この卑怯な方法は、将来的には波動医学でも同じことが必ず起こる。
波動医学は今後、西洋医学を超えた治療成績を出せるようになってくる。そして西洋医学に勝る権力をいずれ得るようになる。波動医学が世界の覇者になったときに、必ず「その時点であいまいなもの」を排除しにかかるのである。
なぜならば、その「あいまいな治療法」は必ず波動医学の上を行くからである。「あいまいさ」とは、その時点の科学力では研究し得ないエネルギーであり、より次元が高く、より根源に近いエネルギーである。そのエネルギーにアクセスできる人は、波動医学よりもさらに勝る治療成績をあげられるのは当然であり、波動医学が支配力を持つようになれば、それができる人を抹殺しにかかることが決定的である(人間の業)。
現在は、波動医学も、オカルト的な医学(霊能や神仏)も、野党であるから互いに手を取り合っている。しかし、波動医学が与党になったとたんに、オカルト的な医学を排除しにかかる。それはまさに西洋医学が現在やっていることと全く同じになる。
波動医学は産声を上げたが、やがて、より科学的なデータ、より効果的な波形(周波数)を用いたものが台頭する。そして「より科学的に説明できた波動医学」が「説明できない波動医学」をつぶしにかかり、結局、科学者が支配する世の中に後退していくだろう。
すでにその兆候が見られている。それは「波動医学が科学的である」という言葉が目立つようになったからだ。そして波動医学には副作用がないと言い張っている者が多い。これも波動医学の傲慢さの表れである。傲慢になってきている時点で、すでに他を排除しようとしている傾向がみられる。そして患者の命を手玉に取ったビジネスが再び繰り広げられる。世の治療師たちにそうなってもらいたくないものだ。
波動医学はどこまで行っても、3次元物理の理論を超えた高次元医療であり、どこまで研究しても、到達できない未知の領域の医療であることを慎んで受け入れてほしいものである。波動医学者が機械論科学者に変身するのを私は見たくない。→次の本文を読む