霊力(法力)のある者はその力で難病を治すことができたり、災難を避けることができたり、大きな商談を成立させることができたり…と、人々の役に立つ超能力が発達する。
霊力がある者は信仰心もおのずと強くなるため、神仏を供養して祈るようになる。神仏を祈るほどに法力がつくので、霊能者はその法力を「神仏から与えられた」と思う。
お不動様を祈る者はお不動様からその力を授かったと思い、観音様を祈る者は観音様から力を授かったと思う。だがそれが誤解を招く。何を祈ったか?で法力を授ける霊が入れ替わるからだ。
「信者が集まるように」「お金が集まるように」「お寺が大きくなりますように」などと我欲を満たす方向に祈った場合、それに関する法力を授けているのはお不動様でも観音様でもなく、低級な霊である可能性がある。
ところが霊能者はほぼ全員が、法力は善なる神仏から授かっていると思い込んでいるので、法力が強くなることを「自分が善に傾いている」と誤解する恐れがある。むしろ強い法力を与えてくれるのは悪霊が多いと考えてよいかもしれない。善霊が提供するご利益は、生活が少し豊かになる程度のものであり、有り余るほどの財を与えたりしない。もしも財がどんどん貯まるようなら、それは悪霊の影響と考え、己を律した方がよいかもしれない。
霊能者が陥るミスとして、彼らは自分の力が強くなればなるほど、自分は善であると思い込む。そうではない。善悪と霊力(法力)の強さは関係ない。憑いているのが悪霊であっても神々しい奇蹟をいくらでも起こすことができる。
彼らは自分の映る写真に光る龍の姿などが一緒に映っていると、それを善なる神と決めつけて大勢の前で披露し、自分が神と親しいことをアピールする。しかしそれは低級霊にだってたやすくできることを忘れてはならない。むしろレベルの高い神霊はそうしたパフォーマンスをしないようだ。
何度も言うが、神々しい奇蹟が善霊由来か悪霊由来かを決めるのは、何の目的で祈ったかによる。目的が我欲によってぶれなければ問題はないと思われる。→本文を読む