死霊の事件よりも生霊の事件が多い(本文)

 井口先生は生霊を用いて人に呪いをかける商売が実在することを述べており、これまでに呪われた人を呪詛返しや結界作りで助けたことが何度もある。稲荷に呪われた者を稲荷と真っ向対決することで救ったこともある。稲荷は神の眷属であり、呪いの力は凄まじく強い。自分が呪われるリスクを顧みず人々を助けている。そして霊能人生の前半は無報酬で行っていた。その勇気と覚悟と実績
 このような業績を残している井口先生が最近の霊関係の依頼では「死者の霊」に関するものよりも「生霊」に関するものが多くなっていると言っていた。「欲を刺激するものがありすぎる」からだと思われる。死者よりも生きている者のほうが浮かばれない状況になってきているということではないだろうか。
これは何とも不思議な感覚である。なぜなら、現代は戦争もなく平和で、日本では餓死がほとんどなく、命を保証されている。何不自由なく生きていられる時代のはず。だのに死霊よりも生霊が増えているのは奇妙である。
 結果から逆に考えると、生きるに必要な物以上の物を与えられていると、生きている者は心が修業できないということになる。まだ「ものや命を奪い合っていた時代」の方が心の成長が得られた。ということになるだろう。欲望を不用意に刺激し合う状態は生きている者の心の堕落に拍車をかけているのかもしれない。
 だから私は言う。科学は人々の生活を豊かにしたが、心を後退させ幸福感を低下させていると。スウェーデンボルグが「古代の人間の方が霊界と通じていた。現代人は霊界から見ると後退している。」と述べたことと共通しているではないか。どうかどうか、科学で洗脳されている皆さん、このことに気づいてほしいと心から願う。→次の本文を読む