次元を超えるソフト(本文)

 パソコン本体を人体に例えると、脳はCPUとメモリ。基盤は血管。実際に動く機体部分が筋肉。モニターやスピーカーは目や耳である。そしてAIソフトがインストールされて人間が出来上がる。ここまでは機械論科学者の発想通りであり科学妄信者も納得している。そして機械論者は科学が進歩すればいずれは意識を持ち自己複製可能な人工人間を製造することができると考えている。
 しかし、それは妄想であると断言する。なぜなら、人間の体は37兆個の細胞が自己複製しながら個の意識を持って生きており、1個1個の細胞にソフトウェアがインストールされている。そのさらに1個の細胞の中にミトコンドリアなどの意識を持った生き物が住んでおり、ミトコンドリアにもソフトがインストールされている。さらに言えば、ミトコンドリアの中にも内膜、外膜、クリステ、マトリックスなどの構造があり、構造にもソフトがインストールされている。
 ミトコンドリア内部には内部の構造を制御するソフトが存在し、細胞内にはミトコンドリアやRNA,ゴルジ体などを制御する別次元ソフトが存在し、組織には細胞のソフトを制御する別次元ソフトが存在し、臓器には組織のソフトを制御する別次元ソフトが存在し、人間には臓器のソフトを制御する別次元ソフトが存在し、人種には人間のソフトを制御する別次元ソフト、国土には人種や動植物を制御するソフト、地球には国土、自然を管理するソフト、太陽系には地球や他の惑星を管理するソフト…と永遠につながっている。
 ソフトを管理するソフト、管理するソフトを管理するソフト、さらにそのソフトを管理するソフト…というように管理ソフトにはどこまでも上には上がある。
 しかし、今述べたのは空間的な広がりを説明しただけであり、実際には地上の魂を管理するソフト、地獄を管理するソフト、天界を管理するソフト…それらをまとめて管理する六道界のソフト、六道界をまとめる菩薩界のソフト、菩薩界をまとめる如来界のソフト、如来界をまとめる大日如来のソフト…というように、次元的な広がりもあるはずである。
 密教に伝わる曼荼羅は、そうした多次元構造を絵で説明している。おそらく、当時の霊能者が、ヨーガ行者に対して、瞑想のイメージ作りを促すための道具として曼荼羅を描いたのだと思う。2000年前という科学のない時代に、多次元構造をイメージさせるためである。
 次元構造には下にも下があるが、さすがに下限がありそうだ。
 細胞小器官であるミトコンドリア、リボゾーム、ゴルジ体のようなものが生きものの最小個体であり、その個体の中にも構造があり、さらに小さくなると素粒子の世界になる。今のところ私は素粒子より小さな世界の話は理解していない。が、素粒子のレベルになると、そこにソフトが存在するかどうかは想像できない。
 管理するソフトは常に管理されるものよりも一つ高い次元に存在していなければならない。そう考える根拠は単純である。例えば、200人がパネルを上げ下げして人文字を作るとして、人文字に何が書かれているのか?パネルを持ち上げている本人にはそれを知ることは不可能だからである。 
 人文字に何の字が書かれているかを知るためには、本人の別の場所(航空写真など)から見るしかない。同様に、「個々の意識というソフト」を管理して統合した動きに仕上げるためには、同じ次元に存在していたのでは管理不可能である。別次元からのみ統合した動きを管理できる。すなわち、細胞一個の動きを管理するためには、ミトコンドリアやRNAやゴルジ体などのそれぞれの意識の動きを別次元から管理しなければならない。
 すなわち、人間が生きているだけですでに6つも7つもの次元構造が必要である。機械論科学者の作ろうとするロボットやAIは全てのソフトを3次元世界のみで構成しようとする。だから彼らは永遠に生き物をゼロから作り出すことができないと断言する。
 もしも機械論科学者が次元を超えたものを作り出そうとすれば、それ自体が生気論なので矛盾である。

 ここで重要なことを述べておく。人間をパソコンのハードとソフトに例えて、肉体と霊体の関係を論じることは、表面上は可能だが、実際には次元をいくつも超えた話を述べることになっており、私たちの用いる聴覚・視覚・文字や絵の情報では論ずることができないものだということを最初に理解しておく必要がある。
 つまり、ハードは3次元構造だが、ソフトは多次元構造であるがゆえにこれを言葉で説明すると誤解が生じる。例えば、「人が生霊を飛ばすと霊体に穴が開く、傷がつく」と陰陽師たちはそう言うが、穴や傷という概念は3次元世界にのみ通用する概念なので、誤解を生むのである。「傷はふさがらないのか? 穴だらけになったらどうなるのか? 穴に他の霊体がはまり込むとどうなる?」というような疑問に答えようとするとつじつまが合わなくなる。つまりハード(肉体)とソフト(霊体)の関係性については、正しく語ることができる者は存在しえないことだけが真実なのである。
 だから私のこの解説こそが「嘘だらけ」なのである。それを承知で持論を唱えることにする。
 ソフト(霊体・意識体)は自己学習能がある。3次元世界にソフトがダウンロードされる(命が誕生する)のは学習のためであると理解できる。同様に宇宙は多次元構造をしているので、5次元の霊体は4次元に降りて学習する。6次元の魂は5次元に降りて学習すると思われる。宇宙はソフトで満ち溢れているのだ。というよりも、ソフトが現実であり、3次元世界はソフトの学習のために作られた模擬世界であろう。
 模擬世界には様々な種族の動植物たちの肉体があり、その肉体の中に魂というソフトがダウンロードされる。ソフトは3次元世界で様々な駆け引きを体験して学習する。そして学習を繰り返すと高次元ソフトへと出世していくのだと思われる。必要なソフトだけが解凍されてインストールされる。不要なソフトは眠ったままとなるだろう。
 とても興味深いのは、どのソフトがどのハードに降りて転生するのかの仕組みである。人間にインストールされた魂が、次に転生するときは昆虫だったというようなことがあるのだろうか? 全くの謎である。スウェーデンボルグでさえそのことを理解できていない。→次の本文を読む