医学論文を読むと、その全てが機械論である。稀にノーベル医学賞を受賞したアレクシー・カレルのように生気論的な考え(祈りの力を検証した)をする者もいる。しかしカレルでさえ迫害を受け、学会論文としては発表していない。つまり医学論文はガチガチの機械論で固められており、それ以外は絶対に認めないという強硬姿勢を崩したことがない。物理学でさえ今や量子論がとりこまれ、生気論的な考えが浸透し始めたというのに、医学は物理学から見て100年遅れている。遅れている理由は彼らがバカだからではない。1000兆円を超える利権が動いているからだろう。医学は支配者階級にとって「打ち出の小槌」であるから、それを手放したくないだけだ。本当は支配者階級はバカではない。バカを演じているだけである。これだけの情報がネットを通して飛び交っているというのに、支配者階級がそれを知らないことなどあり得るはずがない。残念なことは、医学者は己を頭がいいとうぬぼれ、支配者階級に利用されていることに気づかないことだと思う。
量子医学は、現在のガチガチの機械論の領域に生気論的な考えを入れるようなものだから、これは医学に対して正面切って戦争をしかけるようなものである。だが、勝負はついていて、量子力学は医学に近寄ることができないほど、圧倒的に負けている。だが、負けたままでは難病を克服できない。医学にはあまりにも治せない病気(慢性病のほとんどを治せない)が多すぎるからだ。私はこう考える「理論などどうでもいい。とにかく慢性の難病に悩んでいる人を救ってやってくれ」と。
さて、生気論の考え方はこうである。
「生命をもたないシステムの研究から得られた物理法則を使って生命現象を説明しつくすことは不可能である。生命体の営みにはそれ以外の要素が働いている」
発生学・哲学のハンス・ドリューシュ(1867-1941)は「生物内の多くのプロセスは…まるで機械のような確実さを持って目的論的に進行する」と言っている。まさに機械論的思考である。だが、「発生のシステムの一部を除去した時に発生が断片化されたとすれば、機械が原動力となっていることが認められる。ところが発生で断片化は起こらず、ほぼ正常な形態を作る。こうした調整が存在する以上、生物を機械のようなシステムとみなすことは不可能だ」と彼は述べている。彼は調整、再生、生殖には非物理学的要素があり、それをエンテレヒーと名付けた。形態形成において、化学物質を用意するのは遺伝子だが、それらに命令を下すのはエンテレヒーだと主張した。この理論は新生気論と呼ばれるようになった。
エンテレヒーはどのようにして出来上がるのだろう。それは遺伝子で伝わるわけではないので、体の外部に存在していると考えたくなる。目に見えないどこかの世界にサーバーのようなものがあり、そこにプログラムがストックされていると考えたくなるのである。この考えは動物たちが摩訶不思議な本能を持っていることの答えとなっている。と、言うよりも、多次元にエンテレヒーを保存するサーバーが存在していると考えない限り、動物の本能を説明する方法がない。
そして、この考えは私個人の考えではなく、量子論者が好んで採用するようになってきている。つまり、量子論者は新生気論寄りであり、だからこそ彼らは世界中の科学者に敵対心を向けられているのである。敵対心という「心」だけならよいのだが、実際に「命を狙った武力行使」もある。それほど敵対心が強力、かつ利権にからむ問題である。
間違ってほしくないのは、これらのオカルト的な理論は、生気論の科学者たちに支持されてきており、反社会的な科学者が自分のオカルト体験を解説するというような小さなことではないということである。無論、反オカルトの科学者レベルで論破されるようなものではない。→次の本文を読む