振動理論(本文)

 古代ギリシャの哲学者ピタゴラスは今から2500年前に現在の波動医学と同じようなことを言っている。
「あらゆる原子はその運動、リズム、あるいは振動のせいで固有の音を発するとされる。その全ての音や振動が宇宙的調和を形成しているのであり、そこにおいて各要素は自らの機能と性格を持っている一方、全智の統一にも寄与している」
 この古き時代に、すでに万物が波動であり振動であり、宇宙がその振動の調和で成り立っているというような発想ができていたことに驚くばかりである。
 アレクサンドラ・デヴィッド・ニールはその著書「チベット旅行」で音声に対し
「それは、それらの存在あるいは事物が踊っている原子の集合であり、そのうごきによって音声を生じているからである。踊りのリズムが変わる時、それが作り出している音声もまた変わる。・・・・それぞれの原子は絶え間なく歌を歌い、その音声はそれぞれの瞬間に濃密なあるいは希薄な形態を作りだしている。創造的な音声が存在すると共に、破壊的な音声も存在している。双方の音声を作りだすことのできる者は、想像も破壊も意のままである。」
 これらの考え方は、波動医学、周波数、生命場、形態形成場の概念とほとんど完全に重なる。密教の思考レベルが、量子力学をすでに超えているようだ。
 しかし、同時に、波動医学の振動理論と密教のマントラの発音とを混同してはいけないと述べている。マントラの発声は耳だけが聞いている音声ではなく、心だけが聞くことのできる音声だと強調している。周波数の問題ではない。前述したが、マントラは精神の力を制御する鍵的なものであり、電磁波や音波という3次元世界にある物理波動とは全く異なる。だから霊能者が言わないマントラは無意味なたわごとにしかならない。
 波動医学が生命場や形態形成場を治療していると考えると、マントラも生命場や形態形成場に影響を与える点において共通している。だが、密教から波動医学を見ると、月とスッポンであるという立場を明確にしなければならない。現在の波動医学のレベルとマントラと比較すると、その繊細さ、緻密さ、深さなどにおいて、波動医学は密教の足元にさえ及ぶことはない。
 だが、患者から見れば、密教の繊細さ、緻密さ、深さなどは、難病を治せるのならこだわる必要がない。密教が、果てしなく深い学問であり、そのパワーが桁外れに強いことは理解しているが、たとえ深くなくても、波動医学が小手先でも、病気が治せるのなら手段は関係ない。
 波動医学はまだまだ稚拙ではあるが、西洋医学では治せない難病を治せる可能性がある。そういう意味で、密教と波動医学を比較すること自体、おかしなことである。
 波動医学が台頭する以前、密教(霊能治療)は西洋医学では治せない病気を治すことができるほぼ唯一の治療法だった。しかし、近年になり、波動医学を用いて癌や慢性病を治した実例が示されてくると、密教的な治療法がオンリーワンではなくなってきた。つまり、波動医学は密教の市場価値を下げはじめたと言える。
 これまで不治の病に苦しんでいた者たちは、最後の最後で密教や他の霊能力にすがってきていたのだが、その前に波動医学をトライし、そこで改善してしまうケースが出始めた。
 そうした事情が密教の僧侶たちに圧力をかけはじめている。密教は波動医学に比べると敷居が著しく高い。治療のコストパフォーマンスから言えば、密教が劣る場合もある。しかし、波動医学が密教の足元にも及ばない事実は変わることがない。それは密教が宇宙の真理とつながっていて、無限に深い学問であるからだ。
 私は、波動医学を研究している者たちが、霊能力がほとんどないにもかかわらず善戦しているなあと感心している。→次の本文を読む