1)生霊、2)水子霊、3)家系を呪う怨念霊、4)変死・事故死の先祖、5)地獄から救いを求めている先祖、6)救いを求めている浮遊霊、7)地獄霊、8)一緒に死ぬことを促す屋敷霊、9)稲荷狐(粗末、取り壊し、近くを通る)の仕返し、10)井戸を壊したりすることで水霊が凝結変化した水蛇霊、11)無造作に伐採された木霊、12)神仏罰のたたりとして怒っている蛇神、龍神、天狗、13)無益な殺傷を大量にしたために呪っている動物・昆虫霊、14)霊能者や教団にうごめく教団霊、霊団霊、凶邪鬼、凶衰鬼、狂魔鬼
「マイナス(ネガティブ)な方向へ引っ張る人格は全部偽りの性格であると確信すること。そして善の人格を確信すること。自分の人格をもう一人の人格が正しく見つめること。」と彼は言う。深見東州先生のこの言葉は、1年前の私には理解できなかった。ところが、私は半年前に夫婦喧嘩をして妻(霊能者)を罵った時、妻にお不動様が降りて来た。その時私はお不動様に「乗っ取られるでない。しかと自分を律せよ。」と強く叱責された。私は初めて「自分の心が乗っ取られる。」という状態を知った。妻を罵っていた自分は、本当の自分の人格ではなく、憑いている霊に操作されていたということだった。だが、私は妻に対して怒ったのには正当な理由があり、自分自身の感情だと思っていた。怒りを「自身の人格ではない」と認めることは、怒った理由を否定することを意味し、それは自身の思考原理そのものを否定することを意味していた。自身の思考原理は自我そのものであり、自我を否定することはプライドが傷つくことだった。だが、そのプライド自体が実は偽物の人格だったということになる。お不動様に言われた言葉ではあったが、簡単に受け入れることは私には困難だった。自分の性格を「偽り」と確信することは、生まれて来た理由を否定されるほどにつらかった。
だが私はそのつらさを乗り越え、自分の人格をもう一人の人格でみつめるということを行うようになった。お不動様の叱責のおかげだった。そして私はようやく自分の人格をひと皮剥くことができた。だが、それほど深見先生の述べていることは難しい。
彼の言っていることはまさにその通りなのだが・・・実行はたやすくない。だからこそ、一生かけて挑戦するのだろう。→次の本文を読む