悟り(本文)

 悟っていない人は3次元世界の科学の法則にどんどん深く巻き込まれてしまう。それは360度全面モニターの部屋に閉じこもり、目に映るモニターの映像を真実であると誤解するようなものである。私はこれの状態を人々に説明するために、しばしば映画「マトリックス」の世界を引き合いに出す。人間の延髄にプラグを差し込まれ、そこから脳に直接モニター画像を送りこみ、人々をそのモニター画像の中で生活させてしまうのだ。真実は延髄にプラグを刺された植物人間・・・というのが「マトリックス」の内容だ。人間がモニターの世界に束縛されている様子を描いていて、それはまさに3次元世界にとらわれている魂と同じに見える。
 地球という有限なものと宇宙という無限なものに接点がないと考えるのが旧科学。旧科学では無限の意味を説明できない。だが、賢明な者は地球は宇宙の一部と理解できる。同様に、肉体と言う有限なものと魂・意識体という無限なものに接点がないと考えるのが科学に洗脳されている現代人。賢明な者は肉体も魂も波動エネルギーの一部と理解し、それらの根源は同一と理解できる。理解することを悟りといい、悟りとは3次元世界の幻想を突き破ることを意味する。
 3次元世界は壊れやすい物質形態で作られており、それを奪い合い、競争し、ライバルを陥れ、生殖に明け暮れ、五感を刺激することに命を賭ける。それらの原動力となるのが自我である。自我はむさぼり、怒り、妬み、欲情などを生む。これらの逆の発想に変換することが悟り。
 主体は壊れない永遠性を持った魂・意識体であり、3次元世界は魂・意識体を成長させるための修学旅行。物質化したおもちゃ(肉体)を各自に分け与えられる。しかし、各自という魂がもともと存在していたわけではなく、各自は宇宙の意思から分離したにすぎない。そして各自が自らの意志で分離状態をやめて宇宙の大元に戻ることを涅槃(ねはん)という。
宇宙の大元の根源を密教では第一物質とよび、松久先生流に言うとゼロポイントなどといわれる。その根源と一体化し、自我をなくすことが悟りである。意識をこのように変換させることが完全性への道と言われ、密教が目指す終点である。そして一切衆生がいずれはそこへたどりつけると述べている。
悟りを開いた者は、闇と光、物質と非物質、個別と無限の全ての統合であり、存在にも非存在もにも属さない。聖なる者は一切の対立を超えている(ナーガールジュナ、2-3世紀)。と言われる。→次の本文を読