もともとインド密教が密教の発祥だが、8世紀、ヒンズー教徒からの攻撃から逃れるためにチベットへ移った。ほぼ同時期に中国にも伝わったが、これはご存じのように弘法大師が日本に持ち帰り、中国本土では密教が途絶えた。
密教は国王からの庇護がなければ滅ぼされるという運命にあると言っても過言ではない。日本では天皇家が庇護したため現存している。密教は霊能者に伝承する教えであるから一般大衆には普及が難しい。よって国王が保護しない限り数によって滅ぼされる運命にある。
密教は高次元とつながる法を教えるため、国王がその力を欲した場合は庇護されて生き延びる。が、他の宗教のように大衆の力(軍事力)としては弱いので単独では存続が難しい。密教は常に少数精鋭の教団であり霊能力を駆使できる者の数は限られている。逆に言えば、人数的に軍事力的に圧倒的に弱小である密教が、現代に存続していること自体が奇蹟と言える。その奇蹟が起こる理由は、まさに密教の持つ霊能力のおかげであろう。霊能力があるがゆえに、時の権力者に守られるのである。おそらく密教の僧侶一人の霊能力は数万人の軍勢に匹敵する。
その後チベット密教は13世紀、モンゴルからの攻撃を受けるが、不思議なことに密教はモンゴルに手厚く庇護されることになる。その当時交渉に当たったパクパ(聖者と呼ばれた)の功績と言われるが、密教には軍事力に勝る力があることがこのような史実からうかがえる。何十万という軍勢を動かすことのできる皇帝が一人の密教の僧侶にひれ伏す。これが密教、そして霊能力の力である。
この逆も真なり、霊能力は国を統治しようとする愚かな野心家にとってはこれ以上都合の悪いものはない。
こうして密教はクビライハンによって庇護されて中国全土に広まった。が、基本的に密教は霊能者専用なので一般大衆には広めることができない。だから仏教という形で広まる。その後チベットは中国、モンゴルから独立したが20世紀まで中国はチベットに侵攻しなかった。その間チベットでは17世紀、ダライラマ5世が統制するまで内紛が絶えなかった。
ダライラマ5世は清を懐柔し密教を尊重するように働きかけ、これも見事に成功している。ここでも密教の底知れぬ力を感じる。
しかし、密教では常に後継者問題が勃発する。霊能力が高い者に後継すれば問題は起こらないが、人民支配という意味では、人民は地位のない霊能者よりも地位を持たせた僧侶を後継に選ぶ方が秩序が維持できる。すなわち、後継者は親族やナンバーツーの弟子を選んだ方が賢明である。一方、密教は高い霊能力を持つ者がトップに立っているときは、人民を統制する力が発揮されて安定するが、そのトップが死去すれば、必ず分裂し衰退するのも密教の運命と言える。
分裂しても密教は受け継がれるが、密教特有のご利益の質を維持できなくなり政権と密教の関係は薄くなる。すると密教自身が弱り、チベット自身も弱くなる。その結果、再び中国からの侵攻が始まる。チベットと中国はそういう微妙な関係を続けて来た。
人智を超えた密教のパワーと、それを政権に取り入れるかどうかのかけひきで、密教自体もチベットという国自体も存続が不安定とならざるを得ない。その理由は何度もいうが密教は霊能者にしか伝わらないからなのである。ダライラマのように霊能者・密教・統治者が一体化すれば安定するのだが、それはしばしば起こることではない。
日本の真言密教でも同じことが言える。庇護されれば存続できるが、されなければ衰退する。大衆に広まる教えではありえないため密教単独では政治力・支配力がない。しかも真言密教内部でも後継者問題で必ず分裂する運命にある。それは霊能力が高い者を後継させず、地位のある僧侶に世襲させようとするからである。霊能力の高い若き僧侶を大抜擢して後継者に選ぶほどの勇気を真言密教の僧侶たちは持っていない。伝統を守るか、ご利益を維持するかの二択では、必ず伝統を守る方が優先される。
唯一、唐の恵果阿闍梨のみが若き霊能力者・弘法大師を後継に大抜擢した。後にも先にも大抜擢が実現したのは歴史的にこの1回の伝承に限られている。
伝統を守ろうとする保守的な密教の世界では、下克上を許すことはまずあり得ない。だから日本でも密教は衰退する運命にある。高校野球で実力のある選手よりも3年生を優先に出場させるとチームが勝てなくなるに等しい。勝てない密教なら庇護者も現れず信者も減って衰退する。霊能力の弱い僧侶集団で作られた密教はその存在価値を失うのは当然だろう。密教は能力主義でなくてはならない。その当たり前のことを実行できないのは、安定指向という人間の我欲のせいである。
さて、チベットは中国と隣接しているため密教が安定指向を選んだ場合には壊滅につながる。20世紀に入るとチベットは中国に侵攻し、ダライラマ13世はインドに亡命した。亡命ができるのは密教の力であることは言うまでもない。ここから現在に至るまで、中国はチベットへの攻撃の手を全く緩めずチベットの僧侶や人民を大虐殺していくが、それでもチベットの自治権が維持できているのは、中国がチベットの指導者を排除できないからである。どれほど中国から武力を行使されてもチベット人の闘志が衰えない。大した武力を持たないチベットが中国という大国に攻撃され続けているのに支配下にならないのは、密教という底知れぬ力が作用しているからと私は推測する。彼らは命よりも重要なものを守り続けている。
1913年にチベットが中国から独立宣言をしたが、これにより中国とチベットの関係は最悪になり、対立するようになる。そしてダライラマ13世は命の危険がせまるとインドに亡命した。この頃はイギリスやロシアも首を突っ込むようになり国際関係が複雑になり国境線がしばしば変わった。1933年ダライラマ13世が死去すると、中国はチベットの頭をすげかえるために、パンチェ・ラマ9世を送りこもうとしたが急死した。あまりにもタイミングがよいので、これには密教の呪殺が関与しているのではないかと推測したくなる。
ダライラマ13世死去後、チベットは彼の転生者を1939年に探しあて、彼をダライラマ14世とした(ウィキペディア)。世界を見ても、転生者を探しだして後継者とするという非常識なことが近代においてまかり通るのはチベットだけであろう。もちろん密教の力をもってすればそういうことが可能であると思われるが、それを国民が支持しなければ成立しない。他の国でこれと同じことをしても国民が支持しない。これはチベットの人民がいかに密教の世界観を深く信じているかを物語っている。信じがたい奇蹟の一つである。これによりチベットの人民は結束力を強めた。が、中国は1951年に軍事力を行使し、チベット全土を併合した。この時点から中国によるチベット人虐殺が始まった。1959年ダライラマ14世はインドに亡命。中国は文化大革命と称し、約6000あった寺院をほとんど破壊した。
それでもチベット人民は中国に屈しなかった。よって現在もなおチベットの中国への反乱が継続していると言ってよい。まともな軍を持たないにもかかわらず、軍事大国の中国に屈しないのは、やはりダライラマ14世を筆頭とする密教の力であると思い知らされる。力関係においてはライオンに刃向うネズミのようである。
中国はダライラマ14世を排除することを再び画策し、頭のすげかえのためにパンチェラマ10世を擁立したが、パンチェラマ10世はチベット側に寝返りダライラマ14世を演説で賞賛した。このため彼は10年以上投獄された。そして現在も中国の武装警察との小競り合いは絶えず起こっている。チベットの僧侶が武装警察の横暴に対抗するために焼身自殺して中国に抗議するという「命を賭けた精神世界の戦争」を起こしている。彼らはたった一人で大国に立ち向かう。
このような彼らの姿勢から、密教の力がいかに強大かを知ることができる。それは「人は死んでも肉体は不滅」であるため、命を投げ出すことに恐怖を覚えないという究極の強さを意味している。軍事力では圧倒的に負けているのに精神力で勝っている。まさに次元を超えた精神の戦い。チベット人は銃を突き付けられても屈しない。それを支える密教は中国にとって脅威だと言える。命を支配できても心を支配できないことを密教やチベット人は世界に知らしめている。そして軍拡をしても心は侵略されないという究極の軍事力を彼らは私たちに教えてくれている。言葉にするのはたやすいが、こんなことを実践できる人民がチベット人以外に存在するだろうか? 私はチベットの歴史を知るにつれ、密教の世界、すなわち霊能力の世界は不可能を可能にするのだと思い知らされた。彼らは命よりも大切なものを理解しているのである。
3次元世界はどこまで行っても幻影である。その幻影で命を何度奪われようとも、魂は死なない。密教の底力はそこにある。→次の本文を読む