1「神仏を信じる」と言うものの、それは「教え(教えている人)に従っている」ものである。
2なぜ神仏を信じるようになったのか? 実体験に基づかず、言い伝えによる。
3教えに従っているので教祖が死去した後もその教団に無条件で従う。教祖を信仰している場合は、教祖死去の後は教団との関係が疎遠になる(自身が神仏を崇めて信仰するようになる)。
4神秘体験・奇蹟体験・ご利益などの具多的な体験が少ない。
5教祖との結びつきが少なく、教団との結びつきが強い(対人ではなく対組織)。
6脱退しようとすると強い圧力をかけられる。
7教祖の魅力で入信するのではなく、勧誘や強制(両親の教育の一環)で入信する。
宗教と信仰の最大の違いは3である。信仰は人がきっかけになるので、きっかけを作った人が死去すると自然と教団は解体する。解体しない唯一の条件は、引き継いだ者が教祖と同等の霊能力(神通力)を備えている場合のみ。すなわち、教祖が死去の後に霊能力がない二代目が引き継いだにもかかわらず、教団が解体されない場合は「宗教であることが確定」する。
教祖と同じだけの霊力・神通力を持つ二代目が、運よく存在した場合、その二代目は教祖と対立するか、教団幹部から抑圧を受け教団を追放されることになる。教祖がお釈迦様のように悟りを開いた人であればそうはならないが、そこまで器の大きい人間はまずいない。よって、二代目が優秀であった場合、教祖が死去の後は教団がほとんど分裂する。
日本に密教を伝えた弘法大師は極めて優秀な霊能者であったため唐の恵果阿闍梨から免許皆伝となった。が、そのせいで唐の密教は解体した。恵果阿闍梨の人間の器が大きかった証である。
教団幹部は通常、教祖死去後の解体を防ぐために、能力者を追放し教団を「信仰者集団」から「宗教集団」に変えることを画策しなければならない。そのために教団の教義を作り、「神仏に従わせる」のではなく信者を教義に従わせるようにする。このようにしなければ教団は存続することができない。すなわち、教祖が死去後も教団が存続するのはその集団が宗教集団であり、信仰集団ではないことを意味する。教義は経典であり文書であるから、その文書に従うように信者を教育すれば、教団は永年続いていく。神仏に従うように教育したところで、教団に神仏の声を聞くことのできる霊能力者がいないわけだから意味をなさない。仮に神仏の声を聞ける者が教団トップに立ったとしても、そのトップが死去すると同じ事を繰り返す。
宗教が嫌われる理由は、教団がこうした信者支配で経営をしている仕組みが、一般人に露見しているからに他ならない。
多くの教団は経営者集団である。が、それでも教義には「功徳を積むこと」が書かれているため、無宗教よりははるかに良い。教義を守る人の数が多ければ多いほど平和的な社会が作られやすくなる。→次の本文を読む