学校で「科学では、わからないこと、説明できないことがある」ことをなぜ教えないかの答えがここにある。機械論者が絶対にそれを認めないからであり、しかしながら機械論者が支配者階級(政治の中枢)を牛耳っているからに他ならない。
おそらく、国民の過半数が「科学で解明できない神秘的なことが存在する」ことを納得している。が、問題は「だれが国民を支配しているか?」である。
科学史を見れば一目瞭然だが、有史以来、十八世紀まではヨーロッパではキリスト教が国民を支配していた。特にアリストテレスはキリスト教では特別な意味を持つ人とされており、アリストテレスの理論を論破する者は神をも冒涜する不届き者とののしられ、厳しく罰せられた。だからアリストテレスの理論の矛盾点を追究する科学者は存在し得なかった。
そんな時代に科学者(機械論者)が「生命さえも機械的に説明がつく」と述べると終身刑をくらった(デカルトはガリレイが投獄されたのを知り、論文の発表をやめた)。この時代は支配者が生気論者(カトリック教会)だったので機械論は完全に封じられていた。
ところが宗教改革、産業革命が起こり、機械論者たちが産業界と軍需産業を牛耳るようになってからは立場が逆転した。機械は力であり、人の命を支配した。人々が機械に従う(機械文明なしでは生きられないと思い込ませる)ように社会が動き、現在もその機械文明が続いている。つまり機械論者が支配者階級を作っているので「科学にできないこと」を発言させないでおこうとする圧力が学校教育に及んでいる。
人々を機械で支配することは戦争抑止にもなり、商売にも非常に適している。機械で衣食住の全てを提供することで、「機械なしでは生きられない」と人々を思い込ませることはたやすい。それが証拠に現在は農業よりも商工業の方がお金の動きが激しい。農業でさえ機械化が進んでいる。オートメーション(AI)は人類を救うというニュースばかりが飛び交う。機械の恩を与えることで機械論者が支配力を維持できる。こうしたからくりは科学史を読むことで理解できる。
そして当然だが、機械論者を論破することは現在の人民の支配形態を転覆させることに直結する。裏の支配者階級がそれを許すことはない。さらに当然だが、いや、おもしろいことに、裏の支配階級にいる人々は機械論をほとんど信じていない。病気になっても西洋医学の医師にはかからない(軽い病気の場合はかかる)。日本でも大企業を立ち上げて国を支えているような大会社の社長のような方々は神仏を心から信仰していることが多い。
日本では大きな会社にはどこにでも必ずあるお稲荷様の祠がそれである。つまり支配者階級にいる人は生気論者であることが多い。だが、彼らは商売のため、支配のため、機械論のシステムにのっとっている。この矛盾に被支配者階級の人々はなかなか気づかない。
機械論を強固に支持することは、支配されていることの証拠になっているのだが、機械論者がそれに気づかないのは哀れである。IQがどれほど高くても、自分を客観視する高次元頭脳を持たないのである。→次の本文を読む