たとえば一つの石であっても、多くの人がそれを拝み続けることで大勢の念が入る。すると石自体に流れていた御度がより色濃く厚みのある流れに変わる。そして実際にその石から霊験が生じることがある。僧侶が信者を大勢寺に通わせて、仏像の前で合同でお唱えをするのは大勢の念を入れて霊験を得るためといえる。
不特定多数の人や周囲の人の「期待」という念が一人の人物に力を与えその地位や肩書にふさわしい人格が形勢され、人として大きく成長することもある。その一方で妬みやひがみ、誹謗中傷などの負の感情をぶつけられ、念の圧力によって生命力を削り取られることもある。特殊な能力者は念を飛ばして相手の思考を読み取ることができるが、これをテレパシーと呼ぶ。
陰陽師は念を武器に宿し、その武器を周囲の霊を調伏させるために用いる。そういった御度の使い方もあれば、女性が不倫相手の男性といるときは黒い念を男性にまとわりつかせ、彼の心を縛り付けようと画策する御度もある。引きこもりの人は御度が希薄になっている。気功師は念で人の行動を制御することができる。などなど多様な御度が存在する。
妄念や怨念を持つことは誰にでもあるが、その念に自身から削り取った魂を癒合させて生霊を生成して相手に飛ばしてしまうことがある(本人は意図していない)。生霊を生み出してしまうと、その本人の魂に「削り取られた傷跡」が残る。逆に言うと傷跡を診ることでどのくらい強い生霊をいつごろ飛ばしたのかがわかるという。これが生霊生成の原理。→次の本文を読む