地鎮祭の意味(本文)

 主人公の師匠の僧侶(師僧)に地鎮祭の依頼が来た。しかし、その依頼というのは、商業施設を作るために地下3階まで掘ったところ、水が湧き出てしまったので、この地下水を祈祷によりなんとかしてほしいというものだった。地鎮祭は地の神様に頼んで「この土地をお借りします」とお願いする作法。池のようになっている現地に入った。そこで師僧は神話の山の幸彦が海の幸彦からもらったとされる潮乾玉(しおふるたま)を思いつき、それを観想によってイメージで作りだして、その池に供物とともに落とした。するとみるみる水が引いたという話。
 湧き水は神の怒りであり、それを鎮めるためにさらなる上の神の潮乾玉(しおふるたま)を用いたという話。神の力をさらに上の神の力で抑えるという力技であるからして、そういうことをすれば力のバランス関係が崩れて僧侶自身が罰を受ける可能性がある。この師僧は突然亡くなった。
 水が湧き出るということは、その土地を守る神が「開発を許さない」という意思表示であると思われる。この場合、その神を奉るためのお社を作ってずっと供養し続けるか、力ずくで神を黙らせるかのどちらかの方法がある。上記の師僧は強い霊力を持っていたため、「力ずく」を選択した。彼は神をもしのぐ法力の持ち主であるが、果たしてそれがベストな方法であったのかどうかはわからない。師僧が突然死したことを考えると、やはり祟られたのではないかと考えてしまう。
 一方、神を供養して納得していただく方法をとった場合、その供養を商業施設のオーナーが何百年と半永久的に行うかと言えば、それはあり得ないだろう。結局、供養は怒りの先送りでしかなく、その責任は師僧に背負わされる。供養を続けるには一般人では無理な話であるから、力ずくで神を黙らせる方を選んだのだと推測する。
 人間文明の便利さの裏側で、僧侶たちがこのような格闘をしていることは一般には知られていない。→次の本文を読む