地上げ屋は必要悪の一つである。土地開発で立ち退きをさせる時は地上げ屋の暴力を用いることがしばしばある。同様に霊界でもお社の立ち退きやお墓の立ち退きなど、霊体に現在の安住の地を出て行ってもらうときには戦いやかけひきが発生する。そこには魂抜きという非常に酷な作業が待っており、恐らく「はいどうぞ、私の魂を抜いてください。」というように簡単に行くものではないと思われる。
例えば、稲荷を立ち退かせるためには大黒天様にお願いするというように、力関係で上位にある神に頼んで立ち退いてもらう。しかし、立ち退きとは普通に考えると私たちにとって「暴力的なこと」であり、話しあいをしても簡単には土地を手放さないものだと理解できる。
おそらく霊界でも同様であり、魂抜きをする分、私たちの立ち退きよりも苦痛を伴うのではないだろうか。だから神を立ち退かせることは簡単ではないだろう。
地鎮、墓移し、社の取り壊し、池の埋め立て、井戸納めなどを密教の僧侶は行うが、それは僧侶自身が地上げ屋の指揮官になり、僧侶の守護神に頼んでそこに住んでいる神に圧力をかけてもらうことを意味する。それが大儀のために行われるのであれば問題はないが、個人的な利益のために行われたのでは守護神も黙っていないかもしれない。おそらくその力を貸さなくなるだろう。
このように低級な神々に圧力をかけるのが密教僧侶の役割であるのなら、彼らの仕事はかなり危険にさらされている。命を張ったやくざな世界となるだろう。そうなると、自分の命を守るために弟子に汚れ役をやらせたり、責任を弟子と分配したりしなければならなくなる。なにせ自分の命がかかっているのだから必死だろう。私は密教の僧侶たちに「常に善悪を考えること」を強く勧める。師匠の為、お金の為に自分の霊力を貸せば歯止めが利かなくなって魔に堕ちて行く。
人間が自分勝手に土地を開墾し、土地を我が物顔で占有すると神々がお怒りになるのは当然だが、その怒りを密教僧侶の祈祷により抑えつけるわけだから神々の恨みを買う。神官が行う地鎮もリスクがつきまとう。一つ間違えば、依頼主も僧侶も天罰を受けて命取りになるかもしれない。そんな地上げ屋の世界を僧侶や神官たちが生きているということを、少しだけ考えた方がよい。常に善悪のラインがぶれないようにしておかなければ命が危ない。師匠のいいなりになっていたのでは命がもたない。→次の本文を読む