「A:薬を飲んだ⇒B:うつ病が軽くなった。」という事象がある。AならばBというこの因果関係を、実は肯定することも否定することもできない。それは薬を飲まなくてもうつ病が軽くなることがあるからだ。さらに条件を付けて見よう。薬を飲んで5分間はうつ病が軽くなったが、その後は元に戻ったという場合。効果は1時間以上続くことが条件であれば、薬の効果は全否定される。
このように、因果関係というものは哲学や科学を用いてもたやすく証明できないというのが真実である。
そこで、これを肯定したい製薬会社は統計学を用いる。プラセボという偽の薬を飲ませて100人を対象にその効果を聞く。もう一つの100人のグループでは本当の薬を飲ませて効果を聞く。うつ病が軽くなったのが、プラセボでは30人、本当の薬なら80人と言う場合、「薬は有意に効果あり」と言って、「薬⇒効果 の因果関係を認める」というのが現代社会の通念である。薬を飲まずに100人中80人がうつ症状が軽くなる確率はおよそ200万分の1であり、現実には起こらないと判定されるからだ。
このように、多人数の実験では統計確率を用いることで因果関係を無理やり肯定するという手段がとられる。
だが、それでも否定する方法がないわけではない。もしもこれがA:頭に手をかざして気を送る⇒B:うつ病が軽くなる という超常現象的な実験で成功を収めれば、科学者たちがどんな手を使ってでも否定しにかかる。その否定パターンを以下に挙げる。
1、 グループに偏りがあるという否定法
無作為に選んだ集団ではなく、信者を集めた集団だから暗示効果でうつ病が軽快したという反論。
2、 うつ病という診断が間違っているという否定法
この場合、誰がうつ病と診断したか? 診断基準は正しい物か? 全員に同じ診断方法がとられたか? と反論される。 診断基準を正しく全員に同一のものをするとなると、大学病院レベルでしかサンプルをとることはできない。つまり、権威者以外の者が出した結果は認めないというやり口で否定されてしまう。
3、 信用性がないという否定法
そもそも、うつ病が軽くなったという判断を誰がしたのだ? という話になり、それが権威者でないのなら信用に値しないという否定の方法。
4、 追試で効果がないことを証明する(再現性)
同じ実験を懐疑者たちの手で行うと「効果が出ない」ことがあり、粗雑な実験でわざと悪い結果を出して論文を否定することが度々行われている。例えば、臭いの実験では、実験者が鼻の利く人か、そうでない人かで結果が変わる。一般人を用いた実験では、微妙なにおいの変化がわからない。このように実験の質を低下させると結果が出ない場合がしばしばある。懐疑論者が精度の悪い実験で悪い結果を出して論文を否定する方法はネイチャーのような権威ある雑誌においても行われている。
5、 人格否定の否定法
最後に、データがしっかり揃っていて、否定のしようがない場合は実験者の人格を否定し、「人格障害者の発言は信じるに値しない」という方法で潰しにかかる。最終手段として使われ、意外と多い。シェルドレイクがそれに当たる。シェルドレイクは教授職についていない一般人天才である。だから彼の論文は「エセ科学者の論文」というように、人格を否定するやり方で否定されている。
多人数での実験結果は統計学的に処理されると否定しにくいが、それでも上記のような方法で否定することができる。つまり、権威者たちが気に入らない論文は、その著者が権威者ではない場合はいくらでも日の目を見ないように画策できるという現状を認識しておく。真実は否定された論文の中にあるということを常に頭に入れておく方が賢明である。→次の本文を読む