呼応する神々(本文)

 スウェデンボルグの著書から推測すると、私たちに力を貸す神々は個々の価値観や善良度に呼応するようだ。極悪人には善良な神は力を貸さないしおつきあいもしない。その代わりに極悪な霊が力を貸す。善人に極悪の霊は手を貸そうとしても善人はそれを断り、悪人に善霊が「多くの人の幸せ」を説いたところで関心を示さない。そもそも価値観が合わない場合には神々も悪霊も人間に手を貸すことができない。だから人間の願う方向性や価値観が一致する霊がそれぞれ呼応すると考えてよさそうだ。
 我欲を満たしたい人間は我欲に強い価値を見だす霊と呼応する。すなわち我欲の強い人に力を貸すのは悪霊である。悪霊はお金、地位、名誉を得られるように力を貸す。逆に善なる神は我欲の少ない人と呼応する。愛や悟りや慈しみの心を得られるように力を貸す。善なる神にお金や地位や名誉を希望しても、善なる神はそれをたやすく与えようとはしないだろう。それが我欲を刺激してしまうからだ。善なる神はお金や地位、名誉が良心を破壊することを熟知しているので、それを無闇に人間に与えない。だから善なる神にそれを望んでも無駄である。
 しかし、人々を幸せにするためには財力や武力が必要であることを神々は知っている。だから「真に人々を救うこと」に携わっている人には、ほどほどにお金、地位、名誉がついてくる。
 人間が神に祈る時、「何を望むか?」によって呼応する神が変化すると考えてよい。お金や地位を望むなら、たいてい悪霊がそれを担当し、愛や悟りを望むなら善霊がそれを担当する。悪霊が利他的行動を後押ししないのと同様に、善良なる霊(神)は人間にお金や地位で融通をつけることはめったにないと考えてよいだろう。
 すなわち、我欲を満たすために商売繁盛を祈願すると、悪霊が寄り憑くことがほぼ決定する。神に地位やお金を祈願すると、神ではなく悪霊がやってくる。ただし、そのお金や地位を多くの人々の幸福のために役に立てる場合にだけ善の神が力を貸す。
大金持ちもたまには善行をするが、「お金が有り余っているからそれで善行をする」のと「善行を行っていたら自然に財が集まってきた」というのは全く動機が異なる。おそらく、大部分が前者であると思われ、前者をサポートしているのは悪霊であることが多いだろう。つまり、善に行きたい人はよほどの大儀がない限り、商売繁盛を祈願しないほうがよいと私は思う。
 日本では商売繁盛の神としてえびす様が知られているが、鯛を小脇にかかえているのは、豊漁を祈ると共に、一匹で満足しなさいという意味もあり、えびす様は単に商売繁盛や豊漁を叶える神様ではない。ブラック企業は闇の力を借りるので商売繁盛は成り立つかもしれないが、会社員の幸福度は低い。
 さて、そう考えると、商売繁盛を祈祷する神主や密教の僧侶たちにも悪霊が呼応してしまう可能性がある。
 スウェデンボルグの霊界の研究は、暗にそういうことを言っているわけだから恐ろしい。心願成就も恐ろしい。我欲ばかりの人が心願成就を強く願えば、悪霊を呼ぶことになる。ならばそれを叶える手助けをする神主や僧侶にも悪霊が憑依する可能性がある。→次の本文を読む