私たちが学校教育で科学を習うが、習うだけでは絶対に見えてこないものがある。それは科学の限界である。井戸の中にいたのでは外の世界が全く見えないのと同じで、学校教育はまさに井戸の中の教えである。科学が何を解明できていて、何を解明できていないのかを理解するチャンスがない。
例えば大蛇がウサギを丸呑みし、それが糞となって排泄されたのを見た中世時代の科学者は、「大蛇の胃腸の中でウサギがすりつぶされ、最後に糞というペースト状態になって出てきた。」と科学的結論を出した。ウサギの肉や骨が物理的にすりつぶされたという考察だ。が、現代を生きるあなた方はこの理論が間違っていると気づくだろう。それが消化酵素による分解であることをほとんどの現代人が知っている。
だが中世の科学者は消化酵素の存在を知らない。だからウサギの肉や骨が胃腸の壁でゴリゴリとすりつぶされたと考えた。この考えは当時の学校の教科書には堂々と真実として掲載されていたことだろう。
しかし、当時の科学者の中には「すりつぶし説」に疑問を持つ者もいた。1752年、レオミュールというフランスの科学者が金属のカプセルに肉片を入れて猛禽類に食べさせる実験をした。するとカプセルは壊れていないのに、カプセル内の肉片は消えてなくなっていたのだ。
この実験結果から、「食べた物が胃腸ですりつぶされる」という説が論破された。この時はじめて「食べ物が消化されて排泄される理由がわからない」ことがわかった。
間もなく、これが消化酵素による分解作用であるということが判明する。そして「消化酵素は触媒のような作用で化学的に分解して行く」と言われるようになり、その説を現代人のほとんどが信じて疑わない。学校の教科書にそう書いてあるからだ。例えば「でんぷんがアミラーゼで分解されて麦芽糖になる」と習う。これで一件落着だとほとんどの人がそう考えている。科学が消化の仕組みを解明できたと考えている。
しかしながら、アミラーゼがどのような手法をとってでんぷんを麦芽糖に分解するのかがわかっていない。いや、わかっていないことをわかっているのは量子力学者だけである。最近になってようやく酵素による分解には量子力学的な摩訶不思議な効果が働いていると推測されるようになったのだ。
量子力学者は化学反応では消化のスピードが追いつかないことを述べている。量子的な反応がなければこれほどのスピードで消化が進まないと考えている。つまり、量子力学者だけが消化酵素が食べ物を分解する仕組みが「わかっていないことをわかっている」と言える。
だが、現代人は「学校の教科書で消化の仕組みは解決済み」と認識している。実は消化の仕組みが「わかっていないことをわかっていない」のである。
同じく中世の人々は消化の仕組みを「わかっている」と誤解していたはずだ。「それは胃腸ですりつぶされる。」と本気で信じて疑わなかったからだ。無知であるがゆえに「わかった」と思い込める。
同様に、現代の人々は消化の仕組みを「わかっている」と今でも誤解している。「それは消化酵素が化学的に分解するからだ」と本気で信じて疑っていないからだ。その理由は学校教育にある。学校教育が「科学はあらゆることを解明している」と国民を洗脳しているからだ。
このように科学の歴史が進むにつれて「わかっていないという事実がわかるようになっていく」という法則がある。その法則を以下にまとめる。
1、 科学で何でもわかっていると考えている思考=もっとも無知に近い
2、 わかっていないという事実を理解できること=科学の進歩
3、 科学で全てがわかったという状態になることは未来永劫絶対にないということを理解できる人間=科学者(真の科学者は本当に数少ない)
まずはこの3つの法則を徹底的に頭に叩き込む。それが科学を理解するための唯一の方法である。次に科学史を見て行くことにする。科学を歴史的に見て行くことで科学の立ち位置を知ることができる。


この科学史年表で読み取れることがあまりにもたくさんある。詳しく説明すれば本がまるまる1冊分になるが、出来る限り簡略化して説明する。
科学史年表の見方
1、 左右:左側が実証できる理論、右側が実証が難しい理論
2、 赤字:無視、嘲笑されて敗れた・または激しい攻撃を受けた理論
3、 緑字:無視、嘲笑された理論が再び認められた
4、 青字:迫害を受けた理論
5、 紫字:生気論に打撃を与えた理論
科学史を総括して見る
現在私たちが学んでいる科学は二千数百年という期間で構築された。人間の誕生からおよそ25万年経過していると考えると、科学史はその120分の1にすぎない。この短い期間に科学は以下の4つの大きな論争を引き起こした。
1、 天動説vs地動説
2、 生気論vs機械論
3、 アインシュタイン以前の科学vs以降の科学(絶対vs相対)
4、 古典的物理学vs量子力学(実証vs実在)
天動説vs地動説の論争だけが解決済みだが、他は解決していない。科学は本来、意見の統一ができない。それはルビンの壺に比喩される。

見る者によって「杯」と「向かい合う顔」と解釈されるが、どちらも正しい。「絶対である」という理論はこの世に存在せず、全てが「相対的な」理論であるからだ。基準が変わると見方が変わるという意味がある。これがアインシュタインの相対性理論の考え方=3の論争である。
科学史で常に重視されるのは天動説vs地動説の論争である。地球の周囲を天体が公転しているという嘘が1500年以上も修正されずに流布し続けたことの愚かさが語り継がれている。この1500年は言論の自由が奪われていた期間と言いかえてもよいかもしれない。
ほとんどの人が知らないと思うが、地動説は紀元前200年前にアリスタルコスが唱えている①。コペルニクス④がはじめて唱えた説ではない。アリスタルコスが唱えてから1700年間弾圧を受けて抹殺されていたといえる。
コペルニクスは弾圧を恐れ、生きている間は地動説を公表しなかった。発表されたのは死後である。1522年にマゼラン一行が航海で地球を一周し③、地球が球状であることが実証されてもなお、地動説は弾圧されていた。マゼランの航海から150年以上経過してもなお地動説は弾圧され、地動説を支持したガリレイは終身刑⑤となっている。この刑は当時の学者たちを恐怖におとしいれ、デカルトは機械論(人の体は機械的に説明できる)を発表するのをやめてしまった⓺。人間は神が創った神聖なもの、天体は神の力で回している、といった思想で人々を支配していたという体制があった。体制を守るために不都合な科学的理論が弾圧された。古代ギリシャ時代から17世紀ころまで、科学史がほとんど空白だったのは弾圧が影響していたと思われる。科学者の発言が自由であったなら、今頃科学はもっともっと発達していただろう。
ニュートンが力学の基礎を築き、それを勇気をもって次々と公表した⑦功績により、ようやく地動説が一般人に普及した。引力があることにより公転や自転の説明がつけられるようになったからである。
これは、言論を弾圧していたカトリック教会の支配力が弱まったことをも物語っていた。16世紀にルターが宗教改革運動を起こしカトリック教会は分裂したことが科学が急速に進んだきっかけになっている。
16世紀以降、科学者が自由に持論を公表できるようになった。そこで一挙にたまっていた科学者たちの怒りが噴出する。それはデカルトから始まった機械論である。人間は神の力で動いているのではなく、機械的に動いているにすぎないとする説である。神の力を否定する機械論と神の力を肯定する生気論の論争が16世紀に開始された。生気論は「生物に非生命体にはない力が宿っている」とする仮説であり、しばしば神の力と重ねて考えられる傾向があった。が、それを科学者たちが一斉に否定し始めたのだ。これが生気論vs機械論の論争の始まりである。
17世紀に顕微鏡が発明され、これまで見えなかった小さな生物が見えるようになった。そこで起こった論争が「自然発生説の否定」である。それまでは生命はうじがわくように自然に発生すると考えられていた。
ロバート・フックはコルク片から細胞を見つけ出し、「命は自然に発生するのではなく、小さな細胞がたくさん作られることで一つの個体となっていく⑧と説き、自然発生の神秘のベールをはがしにかかった。
自然発生説の肯定派と否定派の戦いは科学者の間で激化し、当時、(今から考えると)いろんなばかばかしいい実験が繰り広げられた。「思慮の足りない浅はかな科学者の考えた粗末な実験結果が、良質で繊細な実験結果を駆逐する。」という言葉がこの時代の実験合戦から生まれた。
天才が考え出した様々な条件を場合分けして、綿密に行った実験結果では陽性と出るが、頭の悪い怠惰な者の場合分け(条件付け)をしない実験結果では陰性と出てしまうという意味である。
例をあげると、怪我したところが膿んでしまったとする。そこを切開して膿みを出し、培養検査をする。培養検査では「他の菌が混入しないこと、菌が好む栄養素のある培地で育てること、温度を一定にすること。」などを綿密に行うと、菌が繁殖して培養結果が陽性と出る。しかし、それらを全く無視して、粗雑な環境で培養すると菌が繁殖せず、明らかに膿が出ていても結果は陰性と出る。
このように思慮の浅い科学者によって素晴らしい科学理論が抹殺されることがしばしばある。自然発生説の論争では様々な茶番劇実験が行われた。科学の恥じである。論争と言うよりもまるで子供同士の喧嘩。もちろん、そう見えてしまうのは現代の私たちに「進んだ科学知識」があるからであり、当時は大まじめな子供のケンカだった。自然発生説の茶番実験の数々をここで紹介するのは時間の無駄なので省略する。
17世紀から19世紀にかけての200年間、科学者の生気論に対する怒りや反対論が噴出し続けることになった。それはこれまで「神秘的」と考えられていた現象のネタバレをこぞって科学者が研究し始めたからだ。まるで宗教界への報復である。
ラボアジェは酸素を取り入れ、体内で酸素を燃焼させてエネルギーを得るという呼吸の仕組み⑫を説き、まるで人間が蒸気機関車を精密にしたような機械にすぎないというような印象を与えた。
ヴェーラーは生き物にしか作り出せないと考えられていた尿素を合成し⑭、あたかも科学者が生物(生命体)を作り出せるかのような傲慢な印象を世間に与えた。ヴェーラーの尿素合成で生気論は大打撃を食らい、「人間も有機物の機械にすぎない」という考えが主流になり始めた。
発酵学者であったブフナーは酵母から抽出した液体(のちに酵素と呼ばれる)でショ糖を分解し⑱、「酵母という生物の力を借りなくても、人間の科学力で糖を分解できること」を誇示し、生物も有機機械であるかの印象を世間に与えた(本当は現代においても酵素を人間の力で無機物から合成(生成)することはできていない)。
その後、サットンが染色体を発見⑳、アルベルトが細胞内の代謝の仕組みを化学的に理論立て(TCA回路)㉘、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を見つけ㉚、人間の知識など足元も及ばぬほどに生物の構造が複雑怪奇なのに、科学力で生物を作り出せると科学者たちが本気で考え始めたのである。まさに西洋医学はそこから生まれており、人間を機械のように治せると考えている。
宗教改革以来、生気論vs機械論は20世紀に入り軍配が機械論に上がった。だから最新の医学は物理と化学で何でも可能であるように吹聴している。そして現代人は病院に行けば病気はほとんど治ると信じて疑わない。このことから機械論が現代で完全勝利をおさめたと言える。
しかし、量子論が登場して今度は機械論が打撃を受け始めた。生物には物理や化学では理解しえない奇妙なことが素粒子レベルで起こっていることが証明され始めたからだ。そして生気論が再び息を吹き返し始めた。しかしながら医学の分野では、化学薬品・手術機器・検査機器・再生医療・遺伝子組み換えなどが圧倒的に普及し、今では国を支える経済産業の中心になった。すなわち機械論で世の中が回っている。そこへ量子論が突然顔を出し「機械論では医学を語れないよ」と待ったをかけた。が、経済は回っているので待ったをかけると経済が止まる。だから量子論は「うかつに顔を出してはいけない」状態にある。これは後述するとしよう。
再び年表に戻る。


新たな科学理論が普及するには100年を要するということを科学史から見て行く。赤字は発表後に無視された理論。緑字は無視された理論が肯定された時の理論。
すると、どういう理論が無視されるかの傾向がわかる。
1、 理論が天才的過ぎて他の科学者が理解できない領域に及んでいる。
2、 宗教や政治にとって不都合
3、 目に見えない、触れない、実証できない
アリスタルコスは天才的な観察力とひらめきで、「地球が公転しながら自転していることで天体の動きの全てをまとめること」ができたが、その理論は2000年近く無視されたことになる。2000年という科学不毛な期間を作ってしまった原因は宗教だったということは、今では多くの人の常識的な知識となった。人民の支配に不利に働く理論は弾圧を受けるということを意味している。
1670年にジョン・メーヨーという医師が酸素説(空気中に血液と結びつく物質があること)を唱えるが、酸素の存在を証明することができないため無視された⑨。皮肉だがその27年後にシュタールが『「燃焼」はフロギストンという物質の放出の過程である』という説⑩を唱え、今から考えればフロギストンという嘘の理論が1750年代に普及した。そして当時の科学者たちがこの理論に追従してフロギストン説を支持する論文を多数書いた。
しかし、フロギストン説は1774年にラボアジェによって論破され、空気中に酸素なるものがあるという説を唱えた⑫。だが酸素説はすでに100年前に唱えられていたわけだ。以後、フロギストン説は「ひらめきの仮説はフロギストン説のように間違いが多いが、それでも世に普及し、他の科学者たちが正しいものとして研究する」という「新しい説叩きの道具」として用いられるようになった。
1808年ドルトンは「元素は原子と呼ばれる小さな粒でできている」という原子説⑬を唱えるが論証が不確かであったために論争を生み当時は認められなかった。ボルツマンはドルトンの原子説を支持し1872年に気体分子運動論を唱える⑯。が実証主義者たちと激しく対立し、精神病をわずらって自殺している。「実証できないものを科学理論とは認めない」という科学者たちの攻撃がいかに激しかったかがわかる。19世紀は実証論者が科学界に権力の根を張っていた。彼らは新理論をことごとく潰しにかかった。このため天才は潰され、科学の進展が失速したといえるだろう。
1911年にラザフォードが原子模型(原子の周囲を電子が飛ぼ回る)を作り㉒、ようやく原子論が科学界に常識として定着した。原子の発想から定着まで約100年を要した。
同様に教科書でおなじみのメンデルの法則は彼が発表した時は無視され⑮、その約50年後の1902年にサットンが染色体説を発表してようやく世に出た。
そして20世紀に入り、科学はとてつもない大きな進展を迎えた。1900年にプランクが量子論発表したことによる。しかし、量子論は3次元世界の常識を超えていたため、当然ながら実証論者たちと激しく対立した。実証論者はフロギストン説のように「たわごとを述べているだけだ」と彼を嘲笑した。
しかしながら、ボーア、ハイゼンベルグ、シュレーディンガー、フント、ファインマン…と次々と天才量子論者が現れ、量子論は「天才のみが研究できる理論」というブランドが構築された。実証論者は秀才止まり、量子論者は天才と呼ばれるようになってきた。科学界が大きく変革したことを意味する。
20世紀から科学は実証しなくても実在を推察できる実験結果が得られれば科学理論として採用するように風向きが変わって来た。科学に自由度が増したのである。
さて、19世紀から20世紀にかけて猛威をふるった機械論は量子論が台頭したために21世紀から雲行きが怪しくなった。
機械論の中心であった生物学・化学・物理学の根底が揺らいでいるからである。すでに私たちが高校で習う物理学は古典物理学と呼ばれるまでになった。古典とは相対性理論や量子理論以前の物理という意味であり、「古い考えでは・・・」という意味である。そして化学は無機物の合成では活躍しているが、有機物の合成に弱い。特に酵素の分野では手も足も出ていない。
酵素合成には量子力学的な考察が必要であると推測される。そして生物学となると科学は全く歯が立たない。原始的な細胞の一つさえ作ることに成功していないし、光合成となると別次元の話になる。
では、それらの学問を全て包括する医学ではどうだろう。少なくとも医学者は化学物質で人間の様々な機能を自在に操ることができていると考えているだろう。さて、それは本当か?と疑わなければ私たちは自身の健康を守ることができない。本当に自在に操れているのだろうか。
どうやら量子論者は「化学物質で人間を操れる」とは考えていない。彼らは化学物質の鍵穴のさらに小さな世界で量子力学が細胞を動かしていると考えている。一つ一つ細胞の中にあるミトコンドリアやゴルジ体、リボゾーム、リソソーム、小胞体、中心小体などで量子力学的なミステリアスな動きがあると見ている。その動きを化学物質だけで制御するというあまりにも大雑把な考え方に対し、量子論が論破しにかかっている。
量子電磁力学のリチャード・ファインマン(ノーベル物理学賞受賞)は「化学は知性を欠いた物理学だ」という名言を残している。そして量子論は今、医学に対して「首を洗って待ってなさい」と大ナタをつきつけている。→次の本文を読む