マントラの限界とカルマ(本文)

 壁を拳で殴れば痛い。殴らなければ痛くない。殴るという行為がカルマであり、その結果として拳が傷つく。殴る行為をやめれば痛くならない。しかし、人生は「風が吹いたら桶屋が儲かる」という三段論法のようなものだから「桶屋が儲かった」のは「風が吹いたせいである」と、素直に理解することは難しい。だから殴ることを止めると痛みが消えることに気づかない。
 例えば、「誰にも服従しないという強い意思(行為)」は、支配的な人の命令に対して「返事をしない」という結果を生み出す。その結果、支配的な人が暴力であなたを服従させようとしていじめる。そのいじめの結果、相手に対して憎しみが生まれる。つまり「服従しない」ことが憎しみを生み出す。「服従しないというカルマを背負っているために憎しみを生む」という因果(三段論法)が存在している。そしていじめられる原因を作っているのが自分の「服従しない」というカルマであるということを認めることができないで思い患う。
 では、なぜ「服従しないのか」の原因はさらに深い。幼いころ両親に何度も何度も心無いことを言われたことがあるのかもしれない。ではなぜ両親が幼子に心無いことを言うのかの原因は両親のさらに両親にさかのぼるかもしれない。それらを因縁という。因縁のせいでカルマを背負い、そして思い患う。
 マントラは適正に用いるのなら問題なく作用する、と言われるとしても、カルマの結果を否定することはできない。これがマントラの限界である。マントラはそのカルマから解脱することの助けになるが、その助けを得るためには本人の専心、信仰、知識が必要である。
「汝が悪しきカルマが滅せられうるか否かを思い患うなら、それは善行を望むことで滅せられることを知るべし」と言われる。→次の本文を読む