私たちの肉体は、波動をこね繰り合わせて作った3次元世界専用のロボットである。このロボットを運転しているのは各自の霊体・意識体・魂であるが、ロボットが壊れても霊体は壊れない。死ぬとロボット本体と意識体は分離させるが、意識体は生きたままでいる。このことはもはや事実であることを認めざるを得ないところまで来た。
先進国8か国のうち、イギリス・ドイツ・ロシア・米国の4か国は、国家レベルでそれらを認め、世界保健機構でさえ霊を認めている。そうした中、日本では死ねば魂は消滅すると考えている者が恐らく8割以上だと思われる。この現状は大変恐ろしい。科学に洗脳されているからである。
何が恐ろしいか? それは命は何よりも大切だと考え、命を守ることに固執することである。命を守るために食料・資源・土地・お金を強奪することをやむを得ないと考え、人々は戦争を繰り返してきた。だが、命はほんの短期間の学習のためのツールであって、実際は死んでも魂は生きている。このことを知らずに殺し合いをすることがどれだけ愚かなことか。
そして銃殺され、その銃創が転生しても残ってあざとなって生まれてくることがある。つまり、肉体が朽ちるとともに銃創は消えてなくなれど、銃殺された時に負った心の傷は消えずに残るのである。
わかりやすく言うと、ハリを刺された傷は明日には消えてなくなっているが、その時に気絶するほどに痛かった場合、痛さは心に一生残る。心の傷は深いほど、来世に持ち越してしまう。魂は永遠だからだ。
もっともイイタイコトは、体の傷よりも、命よりも、心に傷がつくことの方が魂や霊体にとっては重症であるということ。体の傷よりも心の傷の方がはるかに重大だという意味である。私たちが現世で絶対にやってはいけないことは、誰かに深い心の傷を与えることである。それを理解することが病気を治すことよりもさらに重要なことなのだ。
5回死んで5回生き返った小林健先生は言っているが「死ぬことは少しも怖くない」と。それよりももっと恐ろしいことは、死ぬことに恐怖を覚え、死をトラウマにすることである。心に深い傷をつけることは死ぬことよりもはるかに重症であるということを理解しなければならない。
殺されれば恨む。だが、その恨みを何百年も持ち続け、殺した相手の子孫を祟ることでは心の傷は晴れない。現世に得たロボットである肉体に強すぎる執着心を持つことで、殺された時のトラウマが深くなる。肉体に執着しすぎることがどれほど愚かなことか。
その肉体が求める欲望を満たすために人を騙してでも大金を得ようとすることもどれほど愚かなことか。それは死ぬ間際の心の傷をどんどん深くしていく業となるだろう。
この逆も真なり。体にはほとんど傷が残らないが、心に深い傷をつけてしまうことは多々ある。例えばレイプ。例えば種々のハラスメント。ストーカー行為や金銭を巡った裁判、脅迫行為など…。こうしたものを受けた者の心の傷は、体につけた傷の何万倍も重い。そして場合によっては転生しても消えずに残るのである。
このような悲惨な事態が起こる理由は、体に付いた傷は見えるが心についた傷は見えないからだ。物質が世の全てであり、物質中心に生きている人は、心の方が世界のメインであることを知らない。つまり、目に見えないものの方が大切であることが理解できないからこそ他人の心を平気で傷つけていけるのである。物質中心の機械論科学者は、心についた傷は死ねば消えてなくなると考えているだろう。しかしその意見は正しくない。体の傷こそ死ねば消えてなくなるのであり、心こそがメインなのだ。
医療は医学的には肉体をケアするための学問であるが、実は本末転倒であり、心をケアすることが真の医学なのである。私は医師人生を30年歩み、霊能者の妻を持ち、ようやくそのことに気づくことができたのである。→次の本文を読む