レラックやマリという名は偽名で、この話は小説仕立てだが、登場人物は実在し、カルテも残っている。マリは治癒後に修道女になった。レラックこと著者のカレルは前に述べたように、ルルドに同行したというだけでリヨン大学を破門同然となり、フランスを捨てて国外に住み、ロックフェラー研究所で業績を重ね、ご存知のように血管縫合の技術でノーベル医学賞を受賞する。医学が「奇蹟の治癒」に対していかに高圧的な態度で徹底的に攻撃してくるのかがよく理解できる。カレルは随所で現代人の心が物に対して敗退していることを指弾している。
彼の死後、20年経って、カトリック教会の国際委員会がマリの治癒を「奇蹟」と認定しないことを公表したが、これはカレルが生きていたら心外極まりなかっただろう。自分が信じた治癒の奇蹟性が、マリ本人を診たわけでもない後輩医師の書類審査で否定されたのだから。
カレルはこの出来事の後、4回、ルルドを訪問している。私にはわかるが、それは医師としてではない。神の存在を信じた者として訪問しているのだと思う。ルルドへ行けば神の力に触れることができる。その幸せを得たいからこそ訪問しているのだと思う。しかし、その行為は、医学界では宗教的だと非難され、科学者として失格という烙印を押される。だが、そんな烙印は一度でも神の力を目の前にした者にとっては屁でもない。カレルには神の力の存在を後世に伝えるための役割があったのだと私は思う。 フランスで1950年代以降、いたるところの町の通りや施設につけられていた「カレル」はかたっ端から取り消される羽目となる。カレルという名は不名誉とし、科学支配の威力を見せつけられることになる。神の力に抵抗する機械論の支配者たちの力は巨大であり、世論を変え歴史を変える力を持つ。→次の本文を読む